おばあちゃんとお別れをした。お葬式は家族葬だった。おとんと、おかん。兄貴とお義姉さん、僕と長男。6人だけの参列だった。
それが良いか悪いかわからない。おかんの兄弟(姉、妹、弟)が来られないのにはそれぞれの理由があるのだろう。もちろん、鳥取の親族なんてのはみな高齢である。おかんが72歳である事を考えても、昨日の今日ですぐに飛んで来れる人は、ほとんどいない。
姫路近郊には(母方の)親戚も無ければ、鳥取のばあちゃん(95)の友人もいない。こうなる事は必然である。
1人でも多く。との思いで、せめてもの長男だけ連れて行った。
長男を連れて行ったのには、他にも理由がある。
「葬式」を経験させたかったからだ。
福永の家の葬式は実に、40年か41年ぶりだ。前回はおとんのお父さんで僕のおじいちゃん。この葬式の記憶は僕に無い。
かろうじて、母方のおじいちゃんの葬式が中3の時でこれは記憶にある。ただ、これはうち(福永の家)の葬式では無かった。今回も実際には福永の家の葬式では無いのだが、結果的にうちで出した葬式という事になった。
次の葬式はいつになるかわからない。来年かもしれないし、10年、20年後かもしれない。これもひとつの経験と考えて、おそらく記憶に残るであろう長男だけ立ち会わせた。
葬儀、出棺、火葬場、骨上げ。知人の葬儀で火葬場や骨上げまで行く事はよほどの事が無い限り中々無い。
彼が今日の葬儀に立ち会って、何を感じ、考えただろうか?何かひとつでも心に残ってくれれば幸いである。
そして、日蓮宗のおばあちゃんを、やむなしと真宗の葬儀で見送るおかんの思いはいかほどの物だったのか?本当にこれで良かったのか?とはいえ、これしか出来る事も無く。
おかんが、「こんな事をできただけでも有難い」と言った事だけが救いだった。
色々な事を考えさせられた2日間だった。
さらにはうちの家族、おとん、おかん、兄貴、僕の4人が一堂に会したのも何十年ぶりかわからない。ましてや4人そろってメシを食うなどというのは、30年以上ぶりかもしれない。
これ、今回おかんの他の兄弟の所だったら逆に、僕にも連絡が無かったというか、事後報告だったかも知れない。
そう考えると、うちで(葬儀を)出せた事だけでも十分に有難い事だったと思える。
最後の最後まで、本当にありがとう、おばあちゃん。そして、この十何年、おばあちゃんのお世話をした、おとん。お疲れ様でした。あなたのおかげで、今日があったんだと思います。ありがとうございました。
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