今日は、ちょー個人的な日記になりました。
豆腐ハンバーグはまた後日w
僕が初めて義明さんにお会いしたのは、13~4年前。
夏の暑い日の夕方だった。
前の日から海に潜りに行って取ってきたサザエと牡蠣を
宣一さんにあげよーと思いお寺に持って行った。
おやじ(宣一さん)は、愚衆庵で囲碁を打っていた。
その相手が義明さんだった。
その事がわかるのはまだ少し先。
次に会ったのもいつかは覚えてない。
だけど、ある時義明さんが、「わしにもサザエくれや」
みたいな事を言われてその時初めて、あーそーか?
あの時の人やったみたいな。
その頃義明さんは総代をされておられたのかな?
よくわからんけど、報恩講や正月用の仏花を立てておられた。
そして僕もそれを手伝うようになった。
「雅文君よ、おまんも覚えてくれや」顏をみるとそーやって言われた。
僕も時間があると、それを覗きに行って
「やりましょか?」とゆーてみたもんや。
すると義明さんは喜んで
「よっしゃほな教えたろ。これをこないしてな、
こないするんや。やってみー」
言われて僕がやってみる。すると義明さんが
「あかん、そんなんちゃう!もーえー貸せ。わしがやる。」
どないやねん!何があかんか教えてくれや!
そー心の中で何度も叫んだ。
そーして雑談しながら、携帯電話の孫の写真を
みせてくれながら、「かわいいやろ、かわいいやろ」
そんな事ばっかり。はよ、花たて教えろや。
また僕は心の中で叫んでいた。
そんなやりとりが何年か続いた。
いつしか僕も仕事もあり、その作業から足が遠のいた。
だけど、義明さんは顏を合わすと、
「早よ手伝いに来いよ。ワシが教えたるからの」
と、教えもせーへんくせにそんな事ばかり言われたもんだ。
僕たちの結婚式の花も立てて下さった。
嬉しそうに「頑張って立てたからの」と言って下さったのを
昨日の事のように思い出す。
その翌年2010年に倒れられて、入院された。
一度だけ、病院にお見舞いにいくと
また、嬉しそうにして下さった。
その後、退院されてから2~3度お目にかかっただろーか
どんな会話を交わしたのかは覚えてない。
ついに元の元気な姿を見る事ができなかった。
昨日、住職からの電話で、「義明さんが、今朝亡くなられたんや」と。
まだまだ、お花の事や、囲碁、元気になったら
教えて欲しい事がいっぱいあった。
そーいえば、サザエもあげてない。
もはや、それも叶わなくなった。
平成26年1月9日、行年85歳。
むこうで、おやじや、山口さんとまた楽しくされる事だろう。
本当にありがとうございました。
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