今年は結局組内のほんこさん、3ヶ寺に参っただけで終わった。引越しで遠くなったのが一番大きな理由だったりするが。
その代わりというかなんというか、今僕が住む相生市矢野町という地域では、矢野川東西8ヶ寺という独特のグループが存在する。その名の通り、本願寺派も大谷派も関係なく真宗のお寺としてのお付き合いで年に1度子ども会の行事などが行われている。その関係で昨年は矢野町の本願寺派のお寺「称念寺」さんの報恩講へ参らせていただいた。(「称念寺報恩講」)そして今年はうちの家から一番近い同じく本願寺派の「法林寺」さんの報恩講へお参りさせていただいた。
法林寺さんの報恩講は2日間にわたり昼・夜・昼の座があるが、平日だったこともあり夜の座だけお参りさせていただいた。ご講師には奈良県は万行寺さんの西光義秀さんという方がこられていた。お勤めが終わり、御法話。なにもかもが始めての経験で右も左もわからない。そんな場で御法話が30分程度で終わり、その後全員が輪になって座談が始まる。今聞いた法話の感話を話合おうというのだ。
この日の法話の内容はざっくり言うと、自分が生きるうえで宗となる教え。それが「宗教」だということ。そして私たち真宗門徒が宗とするものは声明念仏であり、聞法であるということ。とにかく聴聞せよというお話だったように思う。そして自分が中心でなく、自分が聴聞や念仏を申すのでなく、すべては阿弥陀様がそうさせて下さっているのだと。(私の受け止め方が間違ってたらごめんなさい。)久々に大事な事を聞いたように感じた。だいぶ以前にわかったつもりになってすっかり忘れていたことでもあります。だからこそ凡夫であり、聴聞が必要なんだということなんでしょう。
「私が願わなくても、阿弥陀さんが願って下さっている」
大事なお話をいただきました。念仏と阿弥陀様を生活の中心に出来ているか?ということを問われた報恩講でした。
南無阿弥陀仏。
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