映画『50/50 フィフティ・フィフティ』

ネットフリックすのおすすめから。映画『50/50 フィフティ・フィフティ』
2011年のアメリカ映画だ。

生存率50%のガン宣告を受けた27才の青年は、周りの態度の変化にうんざり。ただ一人今まで通りの親友と、病気を笑い飛ばし前向きに生きようとするが…。

と書かれていて、深刻な深いテーマで涙を誘うような作品なら嫌だと思いながら視たのだけど、思いのほかそんなことはなくてむしろ下品さが目立った。とにかくフェラチオとかビッチとか言い過ぎな。重いテーマを軽く扱おうとするあまりにそうなったのだろうが、もうちょっと言い方があっただろう。おかげで子どもに見せる気が失せてしまった。もったいないなと。

生存率50%を宣告された時に自分、家族、恋人、親友のそれぞれの受け止め方がリアルだったが、こんな親友もちょっといないだろう。

臨床心理療法士キャサリン(アナ・ケンドリック)が可愛かったのをさっぴいても、良い映画だった。これはおすすめだ。

映画『50/50 フィフティ・フィフティ』

27歳で突然がんを宣告された青年を主人公に、「死への恐怖」と「友情」「家族」「恋愛」を、悲壮感だけに頼らずユーモアを交えて描いたコメディ・ドラマです。脚本家ウィル・ライザー自身のがん闘病体験が下敷きになっています。

作品情報
公開日:
2011年9月30日(アメリカ)
2011年12月1日(日本)
監督: ジョナサン・レヴィン
原作者: なし
※ウィル・ライザー自身のがん闘病体験をもとにしたオリジナル作品。
原作: なし
映画脚本: ウィル・ライザー
撮影: テリー・ステイシー
原題: 50/50
配給:
アメリカ:サミット・エンターテインメント
日本:アスミック・エース
劇場公開日: 2011年12月1日(日本)
ジャンル: コメディ・ドラマ/ヒューマンドラマ/青春・闘病
製作年: 2011年
製作国: アメリカ合衆国
上映時間: 100分
字幕・翻訳: 石田泰子
音楽: マイケル・ジアッキーノ
主題歌: 特定の公式主題歌はなし
※ラスト~エンドクレジットでは、**パール・ジャム「Yellow Ledbetter」**が印象的に使用されています。劇中ではレディオヘッド「High and Dry」、ビー・ジーズ「To Love Somebody」、ロイ・オービソン「Crying」など多数の既成曲が使われています。

キャスト
日本語吹替は、ソフト版/Netflix版で一部キャストが異なります。
アダム・ラーナー
ジョゼフ・ゴードン=レヴィット
吹替:浪川大輔(ソフト版)/野島健児(Netflix版)
27歳のラジオ局職員で本作の主人公。健康には気を使っていたにもかかわらず、突然がんと診断され、5年生存率50%と告げられる。

カイル・ハイロンズ
セス・ローゲン
吹替:鶴岡聡/真木駿一
アダムの親友。女好きで下品な冗談ばかり言う「悪友」だが、病気になった後もアダムへの態度をほとんど変えない。

キャサリン・マッケイ
アナ・ケンドリック
吹替:小林沙苗/清水理沙
アダムを担当する若い臨床心理療法士。まだ経験が浅く、カウンセリングにもぎこちなさが残る。

レイチェル
ブライス・ダラス・ハワード
吹替:木下紗華/南澤まお
アダムの恋人。アダムの発病後、看病しようとするものの次第に二人の関係に変化が生じていく。

ダイアン・ラーナー
アンジェリカ・ヒューストン
吹替:弥永和子/小林優子
アダムの母親。非常に心配性で過干渉気味だが、その根底には息子への強い愛情がある。

リチャード・ラーナー
サージ・ホード
吹替:長克巳/松本章太郎
アダムの父親。認知症を患っている。

ロス医師
アンドリュー・エアリー
吹替:Netflix版 景浦大輔

アダムに病状について説明する医師。

ミッチ・バーネット
マット・フリューワー
吹替:Netflix版 宮島岳史
化学療法を受けている患者。病院でアダムと知り合う。

アラン・ロンバルド

フィリップ・ベイカー・ホール
吹替:富田耕生/堀越富三郎

同じく化学療法を受けている年配のがん患者。闘病の先輩としてアダムと交流する。

フィル
ピーター・ケラミス
吹替:Netflix版 いとうさとる

アダムの職場関係者。

ジャッキー
ジェシカ・パーカー・ケネディ
吹替:Netflix版 北方李奈
カイルとアダムが出会う女性。

ウォルダーソン医師
ドナ・ヤマモト

スーザン
シュガー・リン・ビアード

リー医師
イー・ジェー・ツォ

ジェニー
サラ・スミス

フィリップス医師
ダニエル・ベイコン

バーニー
P・リン・ジョンソン

クレア
ローラ・バートラム

テッド
マッティ・フィノッキオ

アガベル・ルーゲンバーゲン
ルイーザ・ドオリヴェイラ

看護師スチュワート
ヴィーナ・スード

アリソン
マリー・アヴゲロプロス

ジョー
ライアン・W・スミス

ボディ
ローレン・ミラー

英語版の主要クレジットでは以上のキャストが確認できます。

あらすじ
シアトルのラジオ局で働く27歳のアダムは、酒もたばこもやらず、それなりに健康的な生活を送っていました。

ところが腰の痛みをきっかけに病院で検査を受けたところ、医師からがんであることを告げられます。さらにインターネットで調べたその病気の5年生存率は50%。

まだ27歳。なぜ自分が――。

恋人レイチェル、母ダイアン、職場の人々はアダムを心配しますが、病人として扱われるようになったことで、逆にアダムは孤独を感じるようになります。

そんな中、以前とほとんど変わらず、下品な冗談を言い、女性をナンパしようと誘ってくるのが親友のカイルでした。

さらに病院では、経験の浅い若いセラピストキャサリンとのカウンセリングが始まります。

笑って受け流そうとしていたアダム。しかし治療が続き、病気が現実のものとなっていくにつれて、彼の中に押し込められていた恐怖や怒りが次第に表へ出てきます。

作品のテーマ
「50%」とは何なのか

タイトルの「50/50」は、アダムが知ることになる**生存確率50%**を意味します。

しかし本作で重要なのは、

「50%なら助かるのか、死ぬのか」

という確率そのものではありません。

数字では整理できても、本人にとっては生きるか死ぬかという100%個人的な出来事です。

アダムは冷静な人間なので、最初は病気さえ理屈で処理しようとします。しかし次第に、恐怖、怒り、孤独といった感情を抑えられなくなっていきます。

最大のテーマは「友情」

本作で最も重要なのは、実はがんそのもの以上にアダムとカイルの友情です。

カイルは一見すると最低です。

病気になった友人を使って女性をナンパしようとする。
下ネタを言う。
深刻な場面でもふざける。

ところが映画が進むにつれて、

誰よりもアダムの病気について考えていたのはカイルだった

ということが分かってきます。

病気になった途端に腫れ物に触るような態度になる人たちの中で、カイルだけは、

「がん患者」ではなく、今まで通りの「親友アダム」として接する。

ここが本作の核心です。

母親ダイアンの描き方

アンジェリカ・ヒューストン演じる母ダイアンも重要です。

アダムから見れば、

「心配しすぎ」
「過保護」
「うっとうしい」

母親です。

しかし彼女自身は、認知症の夫を介護しながら、今度は27歳の息子ががんになってしまう。

アダムから見えている世界だけではなく、

「患者を愛している家族にも、患者とは別の苦しみがある」

ことを映画はさりげなく描いています。

キャサリンとの関係

アナ・ケンドリック演じるキャサリンも、いわゆる完璧なセラピストではありません。

むしろ経験不足で、マニュアル通りの言葉を使い、アダムを困惑させます。

しかし二人の関係が面白いのは、次第に

「患者と専門家」から「一人の人間と一人の人間」

へ変わっていくところです。

アナ・ケンドリックの少し不器用で頼りない演技が、この役によく合っています。

みどころ

最大のみどころは、がん映画なのに「泣かせよう、泣かせよう」としてこないことです。

もちろん重い場面はあります。

しかし、

がん患者同士でマリファナ入りのお菓子を楽しむ
カイルが病気までナンパの材料にする
母親の過剰な心配をアダムが冷静にツッコむ
セラピストのキャサリン自身が緊張している

といった笑える場面が随所に入ります。

だからこそ、本当にアダムが恐怖をむき出しにする瞬間が強烈に響きます。

実話が下敷き

この映画をさらに面白くしているのが、脚本家ウィル・ライザー自身が20代でがんを経験していることです。

そして実生活で彼を支えていた友人の一人が、映画でカイルを演じたセス・ローゲンでした。

つまりカイルという人物には、ある意味で実際のセス・ローゲン自身が反映されています。そのため、普通の脚本では避けそうなブラックユーモアにも妙なリアリティがあります。

頭を丸刈りにする場面

有名なのが、アダムが治療に備えてカイルと一緒に頭を刈る場面です。

このシーンは実際にジョゼフ・ゴードン=レヴィットの髪を剃って撮影しているため、当然ながらやり直しができず、一発撮りに近い状況で即興を交えて撮影されました。

二人の自然なやり取りが、本物の友人同士のように見える理由の一つです。

この映画のコンセプト

『50/50』は単純な

「がんに負けずに頑張る青年の感動物語」

ではありません。

むしろ、

病気になったからといって人間が突然立派になるわけではない。

恋人に腹も立つ。
親がうっとうしい。
友達とはくだらない話をする。
怖くないふりもする。
そして突然、死ぬのが怖くなる。

その普通の人間らしさを描いた映画です。

だから本作の本当のテーマは、**「死」よりも「生きている間に誰とどう関わるか」**にあると思います。

特に終盤、カイルという男がなぜこれほどまでに印象に残るのかが分かった瞬間、本作が単なる闘病映画ではなく、非常に優れた友情映画=ブロマンス作品だったことがはっきりします。

ああああ

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