いつの何新聞かもわからないが、大事な事なので。やっぱり戦争を経験された方の言葉は深い。
無職 大石 弘子 97
(東京都世田谷区)
命が自分のものではなく、戦争資源として惜しみなく消費されたかつての十五年戦争で、国は若者に死を求め続けた。たとえ敵艦船を沈め、敵軍を壊滅させようとも、それは戦争の一面でしかない。戦争の実態とは、ただ普通に生きている人の命や幸福をことごとく破壊することなのだ。
おぞましい戦争の記憶は、私の中に今も鮮明にっている。
戦時中、私は都心の銀行に勤めていた。東京への空襲で銀座・数寄屋橋にあった勤務先のビルは破壊された。崩れたビルの瓦礫を人々が掘り、直撃弾で犠牲になった人の遺体を探していた。空襲は夜通し続き、路面は熱く膨れて裂けていた。一夜で大勢の人が亡くなったとき、死臭と塵埃(じんあい)は周辺に何日も流れ続けた。
別の日、芝公園辺りを歩いていると米軍機が低空で近寄り、私を撃った。だが機銃弾は私の体をそれ、周囲の草むらに当たった。草は飛び散って激しく臭った。「草が撃たれて死んだ」と思った。そこで仰いだ空は広々としていて、いつもと変わりなかった。その時、私の心に浮かんだのは、不思議なことに漠然とした未来への思いだった。生と死が一瞬交差した。
ウクライナでロシアが戦争を始めてから四カ月余り。人々の死は単なる数字となり、報道されている。
そうした中、この日本では軍備増強や憲法改正の論があるが、私は言いたい。戦争で解決するものは何もない。人間の幸福に資するものは何一つないのだ、と。
読んでみてください。
ものの1分の短い文章。
先人からの確固たる教訓。 pic.twitter.com/Rd3rUmXF7Z— うじきつよし JICK (@ujizo) July 18, 2022
090-3990-0645