つづき。
2010年を振り返ってみると激動の1年だった。
1月に友人の結婚式に出席、2月の終わりに懐妊して、4月に西教寺の御遠忌で相生に1泊、と7組の推進員養成講座の締めで京都で1泊、5月は岐阜の別荘で1泊、6月は結婚1周年で神戸のホテルで1泊、7月は母ちゃんの友達に会いに山口で1泊帰りに宮島行き、8月は泥んこバレーに出場して9月に奈良で1泊、10月は秋祭りと妊娠がわかった2月以降にめちゃくちゃ泊まりで遊んどる(笑)
ちなみに3月と5月には広島泊まりがあったけど、これはカープ関係で僕1人ででかけた。他にも泊まりじゃないけど、甲子園行ったり、飲み会があったり藤の木とか沙羅双樹の見物に行ったりめちゃくちゃ動いてるな。
まあ結果的に二人だけで動ける最後の年やったからって事もあるかも知れんが、それにしてももの凄い行動力だ。母ちゃんもよく動いたな。
その間も特に問題無く、たまに逆子になったが、お腹の赤ちゃんはいたって元気になんの心配もなく、無事に成長していた。
そしてしめくくりが11月。長男が産まれるのが11月5日。そもそもの予定日は10日頃だった思うんだがハッキリとは思い出せない。
だがしかし、11月3日に姫路手作りてんこもり市というイベントに2人で出かけたんだよね。それが終わって、僕は友人たちに誘われてワインパーティーみたいなイベントに行ってるんだわ。
そして翌4日の夜はてんこもり市のお疲れさん会みたいなノリで砥堀の唐々鍋を食いに出かける。
その美味いもん食って、腹いっぱいになって寝付いた真夜中に破水した母ちゃんにたたき起こされた。マナさんに電話するとすぐに来てくれという事で真夜中にでかけた。すでに日付が変わったくらいの時間だったと思う。マナ助産院に到着してひとまず安心した僕は多分わりと早く寝付いただろう(笑)
マナさんにはいくつかの和室の個室がありその個々の和室で分娩する。その部屋で母ちゃんにお腹の心音?を計る機械が付けられて結局朝まで変化無く5日の朝を迎えた。2010年11月5日は金曜日だったので僕は少なからず仕事が入っていた。いつまで付き添えるだろうか?朝を迎えてちょっと不安になってきた。
が、マナさんで朝食をいただき、しばらくしてから事態は急転した。8時過ぎだったと記憶している。赤ちゃんの心音が下がったから、ちょっと危ない。病院へ行ってくれないかと言われたのだ。こればっかりはどうしようもない。
すぐに準備を済ませて、マナ助産院のあるひよどり台から藤原台の済生会兵庫県病院まで高速を飛ばして約30分ぐらいだろうか。9時頃には済生会兵庫県病院に着いていたと思う。
だがまだ生まれる気配は全く無かった。
つづく
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