氣流で読む戦争
1995年8月5日掲載
「ゲン」が語る原爆への怒り
広島に原爆が投下されて、五十年になる。当時小学生だった私は、爆心地から一、二キロの地点で被ばくした。 幸い学校のへいのそばにいたため奇跡的に助かったが、前にいた女性は全身を熱線で焼かれ即死した。
爆風で家並みはつぶされ、街には全身の皮膚を焼かれた人々の幽霊のような行進が続いた。
私の父と姉、弟は倒れた家の下敷きになり、母が必死で助け出そうとしたが、柱はビクともしなかった。火災が起きて、弟は「お母ちゃん、熱い、熱い」と叫びながら死んでいった。その悲惨さは、とても「地獄」などという言葉で表せるようなものではなかった。
以後、私は「原爆」という言葉から目と耳をふさいで逃げ回った。あの時のせい惨な光景が目に浮かんで来るからだ。
だが、被ばく後二十一年間生き抜いた母が死んだ時、放射能の影響か、火葬でぼろぼろになってしまった遺骨を見て、「原爆は大事な母の骨まで奪って行くのか」と怒りに震えた。この気持ちをエネルギーに、原爆をテーマにした漫画「はだしのゲ
ン」を描き続けた。それは私の自伝で、書いてあることはすべて体験したことだ。
その後、大勢の読者から手紙をいただいた。「戦争や原爆がこんなに悲惨だとは知りませんでした」「二度とこんなことは許せません」という内容がほとんどだったが、これで次の世代にバトンタッチできると思うと、うれしかった。
「これから先、だれかが戦争や原爆を肯定するようなことを言っても、絶対に信じるな――」。
それが、原爆体験者としての私が将来に託すメッセージだ。
(埼玉県所沢市・漫画家中沢啓治 56)

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