僕が中学3年の夏。当時僕は学校以外で遊ぶ友達は全員が1学年上だった。当たり前の事だが僕以外は全員が高校1年だったという事になる。
夏休みになると、ほとんどずっと一緒に遊んでいた。僕以外に4人のメンバーと、他に3〜4人が流動的に入れ替わる。多い時は8人ぐらいで遊んでいただろうか。
だいたいが誰かの家を溜まり場にして、麻雀をしたりギターを弾いたりしながら他愛も無い話をみんな夢中で話こんでいた。
当時の田舎のガキの移動手段といえば自転車しか無い。あの頃の僕らといえば自転車さえあればどこまでも遊びに行けた。
夏休みのある日の夜、誰が言い出したのか中学校のグランドで花火をやることになった。今思えばあの時の花火は誰が買ってきてたんだろうか?毎回結構な量の花火があったように思う。
花火と言ってもそのほとんどがロケット花火である。この後、毎年夏になるとロケット花火をそこら中の店で買いあさるようになるのだが、それはまた別の機会に。
とにかくこの年のこの日の花火大会が始まりだったのだ。各自が手にロケット花火を手に持ち、導火線に火をつけてその花火を投げる。投げた本人にさえ、どこに飛ぶかわからない恐怖の花火大会の始まりだった。
全員がバラバラに逃げ惑う。誰かが花火を放り投げる。負けじとこちらも放り投げる。自分が投げた花火が自分に向かって飛んでくる。そんなバカで危険な遊びをくたくたになるまでやり続けた。
どれくらいの時間が過ぎただろうか?全員の手持ち花火が無くり落ち着いたころに、また誰かが言った。「泳ごうぜ」
ここは中学校。そこにはプールがあった。全員がその言葉を一瞬で理解した。気が付けば僕らはふるチンでプールサイドに立っていた。
すぐに全員でプールに飛び込んではしゃぎまくっていた。誰も見ていない真夜中の月明りに照らされたプールにふるチンで浮かぶのは最高に気持ちが良かった。
誰が言ったか名付けたか、後に「泥棒プール」と名付けられたこの遊びは僕らが20代になる頃まで続くことになる。
こうやって振り返ってみてひとつ疑問に思うのは、この時タオルとかどうやってたんだろう?毎回毎回、気が向けば泳いでいたのに、その都度タオルを準備して持って行ってたとは考えられないが、とにかく終わったらまた自転車に乗って走りだしていた。
ただ、一度だけ本気でヤバい時があった。
その日はたまたま時間が早かったのか?何時ごろだったのかすらもはや定かでは無いのだが、実はプールの横には1軒の家があった。いつものように僕たちがプールで遊んでいると、突然その家の窓が開き「こらっーーーー!」と叫ばれたのだ。
誰かが声を殺して「逃げろ」と言った。全員が自分の服を抱えてチャリンコのかごに突っ込んでふるチンのまま自転車に飛び乗った。後にも先にもすっぽんぽんで自転車を漕いだのはこの時だけである。
しばらく走って自転車を止めて、もう大丈夫やろと服を着るときに、また誰かが叫んだ。「俺のパンツが無い!」
こんなバカな夏がこの後何年も続く事になる。昭和63年の夏だった。
スマホはもちろん携帯電話すら無かった時代の話。今思う事はSNSが無かって本当に良かったと心の底から思える事である。
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