mojaの生き方

西勝寺の正月。修正会と年始受け

 今年も昨日今日と無事に修正会を勤め、その後の年始受けのお茶汲み業務が終わった。修正会は例年8時から、正信偈・念仏・和讃、そして元旦の御文が末代無知から始まる。

 修正会が終わると、門徒(この表現でよいのだろうか?僕自信が門徒なので、御門徒はおかしいと思い、こう表現しています。どなたかご指摘いただければ有難いです。)が次から次へとお寺へ新年の挨拶へやってくる。そこでお客様にお茶を出す。この年始受け、最近知ったが、そもそも年始受けの無いお寺もあるそうな。ただ西勝寺では昔から年始受けがあり、そこで1年間の法事やほんこさんの日程などがすべて決まる。

 「前住職の時代には、4時頃からお客様がみえられていた。」というのが前坊守さんの口癖である。なるほど、僕が除夜の鐘をつき始めた頃は、オヤジ(前住職)は大晦日の20時頃になると「寝るからの。鐘突いとけよ」と言いながら床についていた。当時は元旦の事は何も知らなかったので、なんちゅう適当な坊さんやと思ったものだ。そもそもこれも最近知った事ではあるが、「除夜の鐘」真宗寺院の正式な行事でも無いらしく、お寺によっては門徒が勝手に鐘を突くぐらいの感覚でもあるそうだ。※参考「浄土真宗では『除夜の鐘』というものは本当はおかしい?

 であればオヤジの行動も腑に落ちる。鐘突きよりもむしろ年始受けのお客様を大切にされたということであり、むしろお寺の年間のお参りがすべてそこで決まるのだから、これがすごい重要な役割を果たしているということになる。そして現在、年始受けに来られる方が昔と比べると減って来た、というのが現住職の悩みである(笑)確かに僕が手伝うようになって何年になるかは忘れたが、僕が見ても明らかにお客様が減った。昔はお茶を出すのも本当に忙しかったが、近年は少しお客さんが途切れる事がある。

 それでもお寺に来られる方の中には、じいちゃんばあちゃん、息子夫婦、孫と三世代で来られる方もある。そんな時はお茶もいっぺんに出す事になるので、こちらも大変だ。それが受け継がれる家庭と途切れる家庭、何が違うのだろうか?今の僕にはよくわからない。ただ、昨年本派のほんこさんで西光義秀先生の御法話(「ほんこさん2016」)で聞いた「宗教とは自分自信の宗となる教え」であり、真宗においては「聴聞(聞法)することこそが一番大切なことである」イコールお寺に足を運ぶということなのだろうと、ようやく理解できた。「阿弥陀様を生活の中心に出来ているか?」この事をもう一度確認できた今年の正月だった。いや、昨年末のほんこさんがあり、今年の正月が生きたというべきか?

 いずれにせよ、今年はもう一度その事を問い直しながら生活したい。さて、明日の朝、お朝事ができるか?(笑)
 

 

ABOUT ME
moja
昭和47年生まれ。生まれた時からカープファン。 姫路生まれ姫路育ち。現在は相生市矢野町榊。 パソコン販売・修理・組立、出張サポート、ホームページ制作・WEBデザインなど。 奥さん1人と4男の父 真宗門徒
お問い合わせ

090-3990-0645

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 姫路情報へにほんブログ村 子育てブログへにほんブログ村 野球ブログ 広島東洋カープへ

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください