ようやく書く気力が戻ってきた。とりあえず5月に入院した時の事。
以前にも少しだけ書いたが、もう少し詳しく書いておく。
三月に一度入院した。
その後、順調に回復するだろうと思っていたが、退院して1週間ほどした頃から体が浮腫みだした。
最初に手がむくんで、その後足がむくみだした。それがどんどんひどくなり、足の甲が浮腫みで靴が履けないくらいに腫れあがった。当然ふくらはぎなどもパンパンである。
この時は、なぜむくみが出たのかさっぱりわからなかった。そして、少しマシになったり、また浮腫んだりを繰り返していたので、そのうち治まるだろうと軽く考えていた。だが、退院して1か月を過ぎてもいっこうに治る気配が無い。むしろひどくなってるんじゃ無いだろうか?と、うすうすは感じていた。
四月の末になり、ゴールデンウィークに突入。この頃には足もパンパンでもう自分で動く気力など全くなかった。こうなるともうどうしようも無い。体が動けばまだなんとかなると思っていたが、それができなくなった。さらには家で寝ていても一向に回復の兆しが見えないのだ。
もうあかんと思ったが、5月6日の四男の誕生日だけは祝ってやりたかった。だが、ゴールデンウィーク最後の土日は本当にヤバかった。それでも6日の当日は這うようにしてケーキを貰いに行き、ついでに行きつけの薬局で説教をくらいながら応急薬をもらい、ギリギリに凌いだがそれが精いっぱいだった。
7日の日には全く動けなくなり、ついに医者に行く決意を固めた。ただその日は日曜日だったので、病院へ行く8日まで本気で死にそうになりながらただただやり過ごした。
この時に救急車を呼ばなかったのは、自宅で救急車を呼んでも西はりま消防局の管轄なので、病院が相生市、たつの市、赤穂市に限定され、おそらくは最終的に3月に運ばれた赤穂市民病院になるだろうと予測できたからだ。
どうせなら、呼吸器の専門である姫路の寺田呼吸器内科にかかろうと考えていた。この時点では、あくまでもCOPDが原因だと思っていたのだ。
そして8日の朝。すでに自分で運転することも危うい状態で、さらには顔まで浮腫みでパンパンにはれ上がっていた。実質の限界だった。この時の写真があるが、とてもじゃないがネットにアップしようとは思えないほどひどい顔である。
寺田さんに行ってからのことは以前にも少しだけ書いた。寺田さんから国立病院(姫路医療センター)に搬送され、僕が3月からの症状を伝えてい事もあり諸々の検査がすんで最初呼吸器内科の病棟に入った。だが、翌9日は循環器内科の病棟に移された。この時はなぜ病室を移されたのか全くわからなかったのだが、その時のことはのちに、退院が近づいた頃になり状況を知ることになった。
これは当初COPD(呼吸器内科)で入院したのだが、検査の結果心不全(循環器内科)と診断されたためだった。僕自身も心不全という病気を全く知らなかったのだが、そもそも浮腫みの原因が心不全であり心臓に原因があって、体に余分な水がたまっていたらしい。さらにCOPDだけが原因と思っていた息切れや呼吸困難も心不全の症状だという事だった。この事実を聞いた時に初めてこの一か月浮腫みに苦しんだ状況を理解できた。
ずっと不思議だったのだ。なぜCOPDで体が浮腫むのか。いくら検索してもどこにもそのようなことは書かれていなかったから。
かくして17日間の入院を経て無事に退院となった。現在はかなり症状も和らいでいて、入院してから一切浮腫みの症状も出ていない。
だが、退院直前にある人と話しをしていて言われたのだが「心不全は治らんやろ!ず~っと薬飲まなアカンと思う。」という言葉だった。その会話をした直後に退院の話しになり、医者からも同じことを聞かされた。それはたまたまだったのだが、この件(薬を飲み続ける事)は医者だけに言われても自分の中で納得しなかっただろう。その前に他の人に聞いたことで多少の諦めもありながら、一応の薬を飲み続ける事も理解ができた。
そうは言いながらも、どこかのタイミングで薬をやめようとも考えていた。それがいつになるのか、この時はまだ想像もできなかった。
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