mojaの生き方

成人の日に、大人について考えてみた

今週の月曜日は成人の日だったらしい。自分に関係なければ、そんな事もどうでも良いのだが、自分の時ってどうだったっけ?

僕が20歳の年。1992年になるのかな??成人式は93年か?当時の成人の日は1月15日の固定だった。今のような日曜日月曜日の連休とは限らない。僕が高2で平成元年なので、平成3年か4年頃か。

成人式には友達と行った。正人と山路と寺やんと、4人で行ったと思う。しかもスーツまで着て。行って何したかは良く覚えていない。ただ会場で子どもの頃に憧れた女子に会った。彼女たちは振袖で僕は興奮した。というのは写真で残っているのでそこは覚えている。

逆に言うと、成人式の会場に入ったかどうかすら覚えていない。

また式の後、何人かの人数でボーリングに行った事はこれまた写真が残っているので覚えているが、そこで解散したのか?その後カラオケでも行ったのか、全く覚えてない。
その程度だ。成人式の会場がどこだったのかも今となっては忘れた。

そもそも成人式なるものに本当に行きたかったのか?否。みんなが行くから行っただけにすぎない。

そう、あの当時の僕は自分の意志を持ってなかったように思う。なんでもみんなが行くから行っていた。高校もそうだった。自分が行きたくて望んで行ったわけでは無い。みんなが行くから、親が行けと言うから高校に行った。なぜ行かなければならないのか?疑問に思っても口に出せなかった。成人式も然り。多分、今の僕なら絶対に行かんだろう。。

要するに、僕が二十歳のころ、僕は「自分」を持っていなかった。ほとんどの事を回りの人もやっているという理由で自分のやる事を決めていた。ようするにまわりに流されて生きていたのだ。それでもまあ当時はそれなりに楽しかったのだろう。

ただ二十歳の僕が大人だったか?と問われれば、あきらかにそれは違った。自分でも大人になっていないと思っていたし、いつかそのうち(大人に)なるんだろうと漠然としたイメージしか無かった。
では、僕はいつ大人になったのか?この問いの答えは、じつは「まだなっていない」という事になる。

僕が思う大人というのは、僕の周りの大人の人たちで言うと、みっとさん、かんまっちゃん、ひでやっちゃんであり、みっちゃん、てっちゃんてんのぶちゃんなのだ。この人たちは僕より7~15歳くらい上の人たちで僕が二十歳の頃に大人だと思っていた人たちである。若い頃からずっとそう思っていた。こんな大人になりたいとういう、ある種のあこがれがあったのかも知れない。

そしてまだ、そこに到達できていない自分がいる。そらそうだ、向こうも年を取るから追っかけても追っかけても逃げて行く。そんな事を考えていたら、46歳になって自分はまだ大人になっていなかった。なんと言うことだろうか?

大人とはいったい、いつなるんだろう?誰が決めるんだろうか?「二十歳になりました、だからあなたは今日から大人です」というのにものすごい違和感があるのは僕だけなんだろうか?

2019年1月44記事目

ABOUT ME
moja
昭和47年生まれ。生まれた時からカープファン。 姫路生まれ姫路育ち。現在は相生市矢野町榊。 パソコン販売・修理・組立、出張サポート、ホームページ制作・WEBデザインなど。 奥さん1人と4男の父 真宗門徒
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