からのつづき。
母ちゃんと付き合いだして、おそらくその年の暮れには結婚する事が決まったと思う。記憶では翌年、2009年の年明けにホテルオークラのブライダルフェアに行ったような気がするが、なぜかこのあたりの写真がいっさい残ってない。ただ、そのあたりから式の準備を始めたのだろうと思う。
まず、式をする会場は西勝寺と決まっている。後は日取りと披露宴会場である。日取り決めのポイントは「友引」であること。これは会場がお寺であり、住職が司婚者になるのに加えて、組内の法中(お坊さん)に参列してもらいたかった為、極力通夜・葬式の少ない日を選ぶことにした。まあ僕にしれみれば仏滅だろうが友引だろうがなんでも良かった。
まさに、「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」親鸞 『正像末和讃』『真宗聖典』509頁 これだ。
その候補に挙がったのが6月14日だった。その日は前田様の誕生日。これが決めてとなった(笑)これは特に吉日を選んだわけでなく、毎年僕が必ず忘れない日という意味でこの日を選んだのだ。
日にちも決まって、披露宴会場選びとなったが一応姫路でも探すことは探した。ただし招待客が100名を越えることが決まっていたのでその条件も踏まえて、6月14日に100名以上入れる会場となると、かなり限られることになった。と、同時に神戸のホテルオークラ神戸の担当Sにも連絡を入れた。「これこれこーゆー事になったけど」と言うととりあえずウェディングフェアに行く事をすすめてくれた。それで行ったのが年明けのブライダルフェアだった。
ブライダルフェアに行くと、当然見積りも出る。それまでは絶対無理だろうと思っていたホテルオークラの披露宴が、現実味を帯びた。それでもまだ少し高い。ここからが担当Sのすごさだった。裏技を発動して、下げれるだけ下げた。こんなもんなん?それが正直な感想だった。おそらくすごい破格だったように思う。普通では無いだろう。とにかくそこまでしてくれる担当Sに感謝するしかなかった。
披露宴の予算に余裕ができたおかげで、姫路ー神戸の移動に大型バスを2台借りることもできた。とにかく出席してくれる方々に最善の配慮ができるようにと考えた。その間、式の準備も着々と進んでいた。披露宴会場も、他の会場では絶対にあり得ない予算になった事で即断となった。会場も100人越えということで、藤原紀香さんと同じ部屋になった。もっともあの時の半分ほどのスペースだが。それでも天井が高いのでめちゃくちゃ広く感じる事ができる。そして料理が豪華でスタッフの対応が抜群に良い。おそらくこのクラスのサービスは姫路には無いだろうし、姫路のどの会場よりも安かったかもしれない。もう当日まで、期待に胸が膨らむばかりだった。
そこから残り何ヶ月間か、衣装を合わせに行ったり、招待客の絞込みと、招待状の発送に追われたりと何かと忙しく過ごしたのを覚えている。
つづく。。
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