開幕直後に出遅れたカープ。4月16日に鹿児島で巨人に敗れて借金が8となった。その翌日から8連勝。そして5月に入ってまた11連勝。その間にあった事は緒方監督の変貌だった。
緒方監督が変貌! 優勝可能性ゼロから“首位君臨”した理由とは?
広島東洋カープが完全に息を吹き返した。開幕戦以降5カード連続で負け越した時点では、過去のデータから「優勝の可能性ゼロ」とも報じられたが、4月16日からの巨人3連戦に勝ち越してから一気に爆発。次節のDeNA戦(同19日)以降は20勝6敗1分けで、ついに“首位君臨”となった。
「沈んでいた序盤戦、チームを救ったのは、ベテランの石原。石原が好機で打ち、ムードを一変させました」(スポーツ紙記者)
緒方孝市監督(50)も苦慮したところがあるようだ。
広島のチーム関係者に話を聞く際、あるワードを口にするとものすごくイヤな顔が返ってくる。「丸ロス」だ。丸佳浩外野手の、FAによる巨人移籍。緒方監督は「丸ロス」による戦力ダウンを指摘されるたびに否定してきたが、最下位転落した序盤戦、各メディアは「むしろ、質問するのも気が引ける」と、逆に丸について何も質問しなくなってしまった。
各メディアに“同情”される状況から立ち直った要因は、攻撃スタイルを変えたことにある。
「4月29日以降、緒方監督は『3番バティスタ・4番鈴木』の打順を動かしていません。5番は、開幕戦で3番に入った西川龍馬、そして、松山竜平、長野久義を使い分けています。1番には野間峻祥をほぼ固定させ、昨季まで1番を任せていた田中広輔を下位に置きました」(プロ野球解説者)
打者・丸は3番、野手・丸は中堅手だった。センターには俊足の野間を入れ、強肩を誇る主砲の鈴木誠也はライトに置く。残るレフトのポジションを、松山、西川、バティスタ、そして、若手の坂倉と人的補償で得た長野久義を加えた面々で争わせようとした。
「将来性なら西川か、坂倉。打撃優先なら、バティスタ、松山、長野でしょう。丸の人的補償で若い選手ではなく、今年35歳になる長野を選びました。ベテラン選手を選んだ経緯からしてレギュラーで使う意思があったのでしょう。『レフトは主に長野』と予想する声が多くありました」(前出・スポーツ紙記者)
長野はゴールデングラブ賞など守備のタイトルも獲得している。しかし、レフトの守備は苦手だった。「レフト・長野」の構想は崩れ、日替わりオーダーの試合も続き、ついに緒方監督は決断した。
4月30日の阪神戦に敗れ、迎、東出の両打撃担当コーチを呼び、打順を『ほぼ固定できる布陣』にすることを前提に守備位置を話し合った。翌5月1日以降、「1番中堅・野間、5番左翼・西川」でほぼ固定された現在の打順に再編された。
左翼のスタメンも西川である程度固定し、バティスタは一塁に回すことにした。
「今までは『3番・丸』で得点を挙げ、4番の鈴木を自由に打たせていました。西川、バティスタ、長野、野間らを3番に置きましたが、機能しませんでした。4月30日の緊急ミーティングでは1、2番の出塁率が昨季よりも落ちたことが要因だとされました。1番を任せていた田中の不振もありますが、出塁率も高かった丸がいなくなったことで、相手投手が警戒するポイントを変えたんです。今までは丸、鈴木を警戒していましたが、今年からは『鈴木の前に走者をためない』という内容に少し変わりました」(前出・プロ野球解説者)
緊急ミーティングでは、4番鈴木の持ち味を生かすため、次を打つ5番バッターを重要視することになった。そして、1、2番は出塁したら走る(=盗塁する)ことを徹底させた。相手投手に盗塁を警戒させることで、クリーンアップへの警戒を緩めるのだ。
緒方監督はチームが不振に陥ると、一人で考え込むことも多かった。しかし、今回は打撃担当コーチを加えて話し合っている。打順の再編はたしかに功を奏した。しかし、真の勝因は、緒方監督の変貌かもしれない。
(スポーツライター・飯山満)
さしずめ「令和の改心」といったところか。
だが実はこれと同じ事が3年前にも起こっていた。
赤の魂
2016年3月28日
「約束の橋」
緒方監督を先頭に、渡り初めが行われた。JR広島駅に近い猿猴川にかかる猿猴橋。1926年に建造され、被爆の記憶をとどめた橋は、地元の声が実を結び広島市によって90年前の姿に復元された。戦前、市民が慣れ親しんだ橋だ。照明塔のついた4本の親柱、高さ5メートル以上。そのてっぺんにはタカが舞う。タカは吉祥の意味がある。橋を渡ることで「幸運」や「繁栄」を願う。スーツ姿の首脳陣、選手らは西から広島駅のある東方面に向いて歩き、そして名古屋へと移動した。
優美なその姿はかつて広島一と称されていた。しかし戦争がその姿を変えた。青銅製のタカは真っ先に“標的”にされた。1943年、金属供出のためもっていかれた。原爆投下の悲劇をその目で目撃して、数え切れぬほどの被爆者も見守ってきた。
地元の人々にとっては特別な存在だ。時代が代わり景色が変わる。今は50階を超える超高層マンションや再開発ビルが目の前に完成しつつある。
再開発と歩調を合わせるように「猿猴橋復元の会」が地元にできた。広島市立大学芸術学部が復元の監修を担当した。広島市は被爆70年記念事業として整備を進めた。短期間で夢がかなった。
下を流れる猿猴橋は、市内を流れる6本の川の中で一番東側を流れる。この川を渡ってからみな東京へ向かった。もっと古い時代には京都へ向かった。
猿猴(えんこう)は猿の総称で手長猿を指すこともある。ここでは水生の、河童のような生物を指す。油断していると人間を水の中に引き込む。
その魂を静めるためなのか?河童祭りも行われるようになった。今年の10月には19回目を迎える。河岸ではフリーマーケットなど多数の露店が並び、そこを通って猿猴橋方面からマツダスタジアムへと歩いて行ける。橋の復元終了で、猿猴川からスタジアムへのアクセスもファンの楽しみのひとつになるだろう。
猿猴橋を、猿猴に川に引き込まれることなく無事に渡る。それは栄光への架け橋となる。
開幕3連戦を2勝1敗とした緒方カープは、確かに昨年とは大きく違う姿を見せている。ともに逆転勝利で特に3戦目は3点のビハインドを素晴らしい攻撃ではね返した。
なぜそうなのか?ベンチのそばで「昨年までとはぜんぜんチームの空気が違う」と話す関係者がたくさんいる。ナインの表情が違う。よく声が出ている。何より緒方監督がはっきりモノを言うようになった。
橋の完成式典で渡り初めに参加した緒方監督は「悪い流れの時には私も橋を渡ってマツダスタジアムに向かいたい。25年ぶりの優勝へ向け全力で戦って参ります」とあいさつした。
緒方監督の自宅は猿猴橋からそう遠くない。その気になれば毎日でも渡ることができる。
毎朝、この橋を渡り経を担ぐ人も増えてくるだろう。いつか橋の下を立派なコイの群れが泳ぐ姿が見られるようになるかもしれない。
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田辺一球 広島魂
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2015年、就任1年目の緒方監督は4位で終わり、クライマックスシリーズに進出する事も無かった。その翌年から「平成の改心」を経て3連覇達成。次はいよいよ巨人V9以来の4連覇である。。
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