からの続き。
とにかくメシを食った高校時代
僕の偏頭痛がいつ無くなったか?それは覚えていない。ただ、ひとつの分岐点みたいなのはあった。
それは高校時代。1年生の9月ごろまではサッカー部に入ってさらにバイトもやっていた。9月に部活を辞めると、そこからバイトだけになるのだが、それがちょうどその時お好み焼屋でバイトしてたんだが、ここで賄いを食わせてもらってたんだ。その時のメシの量がどんぶり3杯くらい食ってた。まだ、ほとんど仕事もできないやつが、とにかく賄いだけ大量に食ってた(笑)
そしてそのお店では、みそ汁もあったし冬場はおでんがあったが、この時そこで初めて出汁を取るという事を知る。かつおとか、ジャコとか昆布とか。そんなレベルだった。それくらい家庭で出汁を取るのを見た事が無かったのだ。
3月になる前に、春休みは友達と土方のバイトに行くことになった。お好み焼き屋のバイトでもあれほど食うようになっていたのに、土方のバイトだともっと食うようになる。朝早く家を出て、肉体労働でへとへとになって帰ってきたらメシ食って寝る。そんな生活を16歳の時に1ヶ月以上続けた。
とにかく体を動かして、腹が減り大量のメシを食うようになり、みそ汁も飲む、なんかわからんが野菜も食っていた。いつの間にか好き嫌いが無くなっていた。結果的に高校2年になる4月の時点で身長が170センチ近かった。約半年で30センチほど身長が伸びたのだ。ただしこれが原因で後に腰椎分離症を発症する事になる。
そしておそらくこの頃には、偏頭痛と耳鳴りの症状は消えていた。鼻炎は相変わらずあったがこれは20代後半まで続く。
今考えてもこの頃の運動量が増えたことでメシを食うようになったこと、好き嫌いが減ったこと、学校とバイトの時間が長くなり、スナック菓子を食うことが無くなっていたこと、ついでに言えばこの頃からバイトにあけくれてテレビも見なくなっていた。これらの事が大きかったと思う。
あくまでも想像だが、これらの複合的要因が、偏頭痛と耳鳴りを治してくれたんじゃないかと思っている。
もっともその事に気づいたのはつい最近、長男が産まれた後なのだが。
子どもが産まれてから
2010年11月5日に長男が誕生した。翌年3月、東北大震災が起こる。長男4ヶ月。もうすぐ離乳食って時に放射能の問題が出た。幸か不幸か僕達夫婦は2009年ごろから原発の勉強をさせられていた(笑)さて、何を食わせて良いか悪いかを調べなければいけなくなった。
それを調べる中で、添加物の問題に行き着いた。そもそも市販されている離乳食なんて必要無くなった。重湯やおかゆで良いという事がわかった。
その後も色々な問題があり2012年3月、船越康弘さんの講演会に行くことになる。「食べ物変えたら人生変る。生きてるだけで100点満点」この話を聞いた時に僕の立ち位置が決まった。この先の子どもたちの食べる物も、食べ方もすべてが決まったのだった。
食べ物変えたら人生変る。生きてるだけで100点満点
その後も、この講演会の録音を何度も聞いているうちに僕の子どもの頃からの偏頭痛や耳鳴りの問題も全て謎が解ける。
今現在、うちの子ども達がスナック菓子を食べるという選択肢は無い。インスタント食品や冷凍食品、菓子パンなども無い。料理に砂糖を使う事もごく僅か。これに関して僕の母などは、あんたは極端だとか、ストイック過ぎるとか色々文句を言うこともある。
だが、僕はそうは思わない。僕が子どもの頃に味わった偏頭痛や耳鳴りを子どもたちにさせたくないと思うし、ましてや不定愁訴なんかを避けようとするとどうしてもこうなる。今、うちの家族全員にアトピーも花粉症もアレルギーも無い。病気がちで困る事もないし何かの持病も今の所は無い。それこそが結果では無いだろうか。
もっとも長男が産まれてからまだ、わずか7年しかたっていない。だけどこの先家族がどんな病気にかかっても僕には治せる自信がついた。
食べ物変えたら人生変る。生きてるだけで100点満点
これこそが、すべての答えだった。
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