おめでとうマエケン!
マエケンメジャー初先発、初勝利。そしてなんとホームラン(笑)
マエケンがメジャーに、いや、ドジャースにおる間にもっかいLAに行きたいな。
僕にも新たなる夢ができました。今度は家族5人で。
「4/7 前田健太がデビュー戦でメジャー初アーチ! LAD - SD」
お祝いなので今日は甲子園での阪神戦が雨で流れて珍しく早いことupされた有料サイト「田辺一球 広島魂」のコラム「赤の魂」でも転載しとこ。
4月7日
胸の赤い印に誓う7
ドジャースの前田健太が現地時間の4月6日、カリフォルニア州サンディエゴのペトコパーク、パドレス戦で”二刀流衝撃デビュー”を果たした。
打っては四回の第2打席でホームラン、投げては6回5安打無四球4三振の無失点ピッチングで勝利投手となり、チームの開幕3連勝に大きく貢献した。
マエケンの夢が現実になった。ここまでたどりつくのに幾多の試練があった。しかし強い気持ちを持ち続けた。そして広島に別れを告げる時には涙も浮かべた。
出会いと別れの繰り返し。PL学園の門を最後に出る時も、大野合宿所の入り口に最初に手をかけた時も、そのたびに新鮮な気持ちを大切にしてきた。
プロ2年目で背番号が変わった。その番号を今日もつけている。しかも「赤」だ。
その2年目で先発ローテに入り9勝をあげた。最終戦、旧市民球場ラストイヤー、ラストゲームではヤクルト川島からホームランも放った。
だが翌2009年は8勝14敗。簡単にはうまくいかない。そして周囲の雑音やアレコレ考えることも、グラウンド内外で増えていく。
「海を眺めてしばらくじっとしてるんですよ、気分転換にあれこれする、のではくてじっとそうしているとまた初心に返るというか、気持ちが落ち着いてきますからね」
2010年、勝ち負けの数が逆になり、15勝8敗、174奪三振、防御率2・21で投手三冠と沢村賞。
そこからまた5年で沢村賞をとり、その間に結婚と子どもの誕生があり、そして目標としてきた「シャンパンファイト」の夢を果たせぬまま、海の向こうにその続きを託した。
夕暮れ前のペトコパーク。カリフォルニア・ドリーム…。
初回に味方打線から4点をプレゼントしてもらうと、その立ち上がり、わずか10球で3者凡退に片づけた。ただ三番のM.ケンプには甘く入ってドキッとする打球をレフトに飛ばされた。
二回には一死からY.ソラーテの初球三塁側セーフティバントを自ら一塁悪送球。とんでもない高い球になり、騒然とするスタジアムの空気が耳に届いたに違いない。
だが、「人生で1回しかない初登板、しっかり覚えていられるように…」と前日口にしたとおり、周りをしっかり見て、状況を把握した。アウトカウントを増やすことが最優先。力むことなく後続を内野ゴロ2つに抑えてピンチを脱出した。
迎えた四回の打席では、パドレス先発のA.キャシュナーの変化球を軽く振り抜き左翼スタンドに叩き込んだ。ダイヤモンドを回りながら旧市民ラストゲームの時と同じような笑顔になった。野球好き、の本能は変わらない。
その裏、M.ケンプ、W.マイヤーズの三、四番に連打され一死一、三塁とされたが、ここも最後は自ら一塁にうまくカバーに入って3つ目のアウト(一ゴロ)を奪って見せた。
五回までの球数わずか69球。日の暮れた六回は投球テンポをあげて臨んだ。一番からの3巡目。イッキに潰しにかかるつもりだった。
しかし先頭のJ.ジェイに詰まりながらもショート後方に落とされた。続くC.スパンジェイバーグの遊ゴロはセカンドのベースカバーに入ったC.アトリーが落球して慌ててベースにタッチ。セーフのジャッジはドジャースベンチによって「チャレンジ」に持ち込まれ、ビデオ判定の結果は「アウト」にすり替わった。
ところがパドレス三番のM.ケンプには甘く入ったところを中前打され一死一、三塁と「ジャッジ」の恩恵を受けながら、また苦しい場面と対峙した。
こうなると微妙なことが不思議なほど続く。四番W.マイヤーズの一ゴロ、バックホームもアウトの判定のあと、今度はパドレスベンチが「チャレンジ」を申請。マウンド上でおよそ3分間待たされたあと、「やっぱりアウト」の判定で試合が再開した。
その初球はカーブでストライクを取った。この試合で投じた110キロ台のカーブはほとんどストレイクゾーンに決まった。最後はY.ソラーテを空振り三振に仕留めて無傷のままお役御免となった。
赤いスパイクの紐を締め直し、そのたびに気持ちを強くしてマウンドに向かった。
その繰り返しがこれから気が遠くなるほど長い時間、続いていく。その第1歩を新たな舞台で確かに踏み出した。
2008年4月5日、プロデビュー戦からちょうど8年…、マエケンは5日後の28歳の誕生日も兼ねて祝杯をあげ、次回登板でまたその夢を追いかける。
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