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映画『同じ月をみている』土田世紀vsキング窪塚

僕がこの作品の原作を読んだのはもう20年以上も前のことだ。大好きな作品のひとつで、何度も読んだ。だが正直内容を完璧に覚えているわけでもなく、なんとなく覚えている程度ではあるが、エンディングは今でもはっきりと覚えている。

映画を観てすぐに、冒頭で草原をかけているのがどんちゃんだとわかったし、それは脱走したことを意味していることも知っていた。その後はどうだろう。どれくらい原作に忠実だったのか、はっきりとはわからない。ただ、個人的には原作に忠実であるかどうかより、作品として伝わるかどうかが大事だと思っている。

この作品に窪塚が出演していることは知っていた。(通常は、内容もキャストも全く知らずに作品を見る事が多い)だからこそ、見るのが怖かった。この作品で窪塚に当てはめることができる役など、てっちゃん以外にあり得ない。窪塚にどんちゃん役は無理だ。だとすれば、多かれ少なかれキングのイメージが損なわれるのではないか。

僕にとってもはや窪塚洋介はキングでしか無いのだ。ある意味彼が早くに引退した事は、その後にキングのイメージを崩さずにすんだので良かったとも言えるだろう。いや、彼ならもっとキング以上の何かになれたのかも知れないが。

が、この作品に限ってはよりによっててっちゃんだ。と思いながら前半を見ていたのだが、最後はちょっとだけかっこよく終わったのでまだ良かったのかな。

この映画でひとつ驚いたのが山本太郎だ。今はこの人の事は大嫌いだが、芸能人時代の彼のことを全く知らなくて今回初めて俳優山本太郎を見た。正直めちゃくちゃ演技が上手いとか特に感じる物も何も無かったが新鮮ではあった。

と、ここまで書いてウィキペディアを見ると、なんと予想外の事が書かれていた。

主演の窪塚洋介は自身の転落事故以来、初の映画出演であり、そもそも「窪塚洋介の復帰映画を作る」という企画から始まった。

当初、窪塚が演じる予定だったのはドンの役であったが、どんな役でもこなせる役者になりたいと願っていた頃を思い出し、今までの自分ならやらなかったであろう鉄矢の役を選んだ。
Wikipedia『同じ月を見ている』

まさかの窪塚をドンちゃん役だって。それはちょっと無理があるだろ。むしろ「どんな役でもこなせる役者になりたい」ならドンちゃん役をやるべきでないのか?と、まあ20年も前の事を僕がうだうだ言ったところでなんにもならのだし、キングはその後引退するわけだし。

逆に窪塚がてっちゃんを選らんだことによって、微妙に原作との相違ができたわけだ。

だからこそ作品としてどうだっただろう?と考えると決して悪くは無かったと思う。全く何も伝わらない、ということは無かったんじゃなかろうか。だが、原作を読んだ人間からするとやっぱりドンちゃんの偉大さが伝わりきっていないように感じた。ひょっとしたら窪塚がドンちゃんを演じたほうが、むしろドンちゃんにもっとスポットが当たったんじゃないだろうか。ウィキペディアを読んだ後ならそう感じてしまう。

最近多くの映画を見るようになって少しだけわかってきたことは、原作に関係なくその映画だけを見て伝えるべきことが伝わるかどうかって事が大事なんじゃないかと思う。ミステリー作品の場合は事件が起きて、その解決までの過程が書かれるからわかりやすいが、そうで無い場合は何を言いたいのか、それが伝わるかどうか。もしくは見る側が読み取れるかどうかで作品の評価も変わるんじゃないか。

今回、大好きな原作の映像を見ることで、ようやくそんな事がわかったようなことである。

もうひとつエンドロールで印象に残ったことがあって、それは作中で使われた美術品のタイトルであると思われるクレジットが入っていたこと。

これ多分、絵画だよな。
劇中画
「炎」「松の木」早川剛
「祝福」齋藤この作品の原作を読んだのはもう20年以上も前のことだ。大好きな作品のひとつで、何度も読んだ。だが正直内容を完璧に覚えているわけでもなく、なんとなく覚えている程度ではあるが、エンディングは今でもはっきりと覚えている。

映画を観てすぐに、冒頭で草原をかけているのがどんちゃんだとわかったし、それは脱走したことを意味していることも知っていた。その後はどうだろう。どれくらい原作に忠実だったのか、はっきりとはわからない。ただ、個人的には原作に忠実であるかどうかより、作品として伝わるかどうかが大事だと思っている。

この作品に窪塚が出演していることは知っていた。(通常は、内容もキャストも全く知らずに作品を見る事が多い)だからこそ、見るのが怖かった。この作品で窪塚に当てはめることができる役など、てっちゃん以外にあり得ない。窪塚にどんちゃん役は無理だ。だとすれば、多かれ少なかれキングのイメージが損なわれるのではないか。

僕にとってもはや窪塚洋介はキングでしか無いのだ。ある意味彼が早くに引退した事は、その後にキングのイメージを崩さずにすんだので良かったとも言えるだろう。いや、彼ならもっとキング以上の何かになれたのかも知れないが。

が、この作品に限ってはよりによっててっちゃんだ。と思いながら前半を見ていたのだが、最後はちょっとだけかっこよく終わったのでまだ良かったのかな。

この映画でひとつ驚いたのが山本太郎だ。今はこの人の事は大嫌いだが、芸能人時代の彼のことを全く知らなくて今回初めて俳優山本太郎を見た。正直めちゃくちゃ演技が上手いとか特に感じる物も何も無かったが新鮮ではあった。

と、ここまで書いてウィキペディアを見ると、なんと予想外の事が書かれていた。

主演の窪塚洋介は自身の転落事故以来、初の映画出演であり、そもそも「窪塚洋介の復帰映画を作る」という企画から始まった。

当初、窪塚が演じる予定だったのはドンの役であったが、どんな役でもこなせる役者になりたいと願っていた頃を思い出し、今までの自分ならやらなかったであろう鉄矢の役を選んだ。

まさかの窪塚をドンちゃん役だって。それはちょっと無理があるだろ。むしろ「どんな役でもこなせる役者になりたい」ならドンちゃん役をやるべきでないのか?と、まあ20年も前の事を僕がうだうだ言ったところでなんにもならのだし、キングはその後引退するわけだし。

だからこそ作品としてどうだっただろう?と考えると決して悪くは無かったと思う。全く何も伝わらない、ということは無かったんじゃなかろうか。だが、原作を読んだ人間からするとやっぱりドンちゃんの偉大さが伝わりきっていないように感じた。ひょっとしたら窪塚がドンちゃんを演じたほうが、むしろドンちゃんにもっとスポットが当たったんじゃないだろうか。ウィキペディアを読んだ後ならそう感じてしまう。

最近多くの映画を見るようになって少しだけわかってきたことは、原作に関係なくその映画だけを見て伝えるべきことが伝わるかどうかって事が大事なんじゃないかと思う。ミステリー作品の場合は事件が起きて、その解決までの過程が書かれるからわかりやすいが、そうで無い場合は何を言いたいのか、それが伝わるかどうか。もしくは見る側が読み取れるかどうかで作品の評価も変わるんじゃないか。

今回、大好きな原作の映像を見ることで、ようやくそんな事がわかったようなことである。

もうひとつエンドロールで印象に残ったことがあって、それは作中で使われた美術品のタイトルであると思われるクレジットが入っていたこと。

これ多分、絵画だよな。
劇中画
「炎」「松の木」早川剛
「祝福」斎藤敏文
「水牛の屏風絵」小滝雅道
「エミの肖像」池山れい

こういったクレジットもあるんだね。今までもあったのかな。初めて気が付いた。

映画ってなかなか奥が深いね。面白いわ。

ということで『同じ月をみている』
評価は☆3、72点かな。やっぱり原作がな、土田世紀は偉大だよ。だがそれに匹敵するキングもな。

以下AIによる。まとめ。原作版もあります。

公開日: 2005年11月19日
監督: 深作健太
原作者: 土田世紀
原作: 漫画『同じ月を見ている』(小学館『週刊ヤングサンデー』連載)
映画脚本: 森淳一
撮影: 北信康
原題: 同じ月を見ている(英題:Under the Same Moon)
配給: 東映
劇場公開日: 2005年11月19日(日本)
ジャンル: ヒューマンドラマ/青春
製作年: 2005年
製作国: 日本
上映時間: 106分 ※資料によっては105分表記あり
字幕・翻訳: 日本語作品のため該当なし
音楽: 藤原いくろう
主題歌: 久保田利伸「君のそばに」

キャスト
熊川鉄矢:窪塚洋介/少年期:塩顕治
水代元(ドン):エディソン・チャン/少年期:石川眞吾
杉山エミ:黒木メイサ/少女期:福田麻由子
杉山譲治:菅田俊
杉山美都子:竹井みどり
金子優作:山本太郎
中田:松尾スズキ
東谷:岸田今日子
住職:三谷昇
大樹:川上将平/ほか:西田健、春田純一、仁科貴、伊藤洋三郎、モロ師岡、水川あさみ(友情出演)

作品の持つテーマとみどころ(コンセプト)

幼なじみの三人(鉄矢・エミ・ドン)を軸に、「癒やし」と「贖罪(しょくざい)」、そして“人は変われるのか”という根源的な問いを描く人間ドラマ。医師を志した鉄矢の使命感と、絵で人の心を癒す不思議な力を持つドンの純真が対照を成し、少年期の記憶と現在が交錯する構成が情緒を引き上げる。北信康の硬質で澄んだ撮影と、藤原いくろうのスコア、久保田利伸の主題歌が、タイトル通り“離れていても同じ月を見上げている”という連帯感を音と光で補強。脱獄後の再会シークエンスや、ドンの絵がもたらす静かな変化の積み重ねが見どころだ。

以上映画版
ここから原作

◆ 原作漫画の概要
作者:土田世紀
掲載誌:週刊ヤングサンデー(小学館)
単行本:全5巻(1998〜2000年)

物語の中心は、天才的な絵の才能を持つ少年・ドン(水代元)と、医師を志す鉄矢、そして二人の幼なじみ・エミ。
ドンは心の病を抱えながらも人の「痛み」を描くことで人々を癒やす存在。
一方で鉄矢は少年期にドンを守れなかった罪悪感を抱え、成長後は医師として“命を救う”ことで贖罪しようとする。
少年時代の事件とその余波が、三人の運命を深く結びつけていく。

テーマは「赦し」「共感」「生の意味」。土田世紀らしい人間の“弱さと再生”を描いた作品で、後期作『俺節』にも通じるヒューマニズムが濃い。

◆ 映画版との主な相違点・改変点
1. 舞台と時代設定の変更
原作は1990年代の地方都市を舞台にしているが、映画では時代を曖昧にし、ロケ地も日本各地を混在させた幻想的な空気を持つ。
これにより「現実と記憶のあわい」という詩的なトーンが強調された。

2. ドン(水代元)の描写
原作のドンは、心の病を抱えながらも純粋で天才的な画家として描かれる。
映画では彼が「殺人の容疑で服役している青年」として描かれ、物語の軸が“罪と赦し”に寄る。
原作では社会から排除される存在としての「弱者の象徴」だったが、映画ではよりドラマ的に「過去を背負った人間」として再構成されている。

3. エミの役割(ヒロイン像の違い)
原作のエミは、二人の狭間で揺れる現実的な女性として描かれるが、映画のエミ(黒木メイサ)は“救済者”のような象徴的存在。
彼女はドンを導く存在であると同時に、鉄矢の「癒やし」でもある。
この変更により、女性像が「現実的な葛藤」よりも「希望の象徴」に変わっている。

4. 結末の違い
原作では、ドンが残した絵を通じて鉄矢とエミが“生きる意味”を再確認するという余韻のある終わり方。
映画では、ドンの死(または再生)がより直接的に描かれ、鉄矢がその意志を継ぐことで物語が締めくくられる。
原作の静かな余韻に対し、映画は“感情の爆発と再生”に焦点を当てている。

5. 世界観の縮約
漫画では少年期〜青年期までを丁寧に描き、複数のサブキャラクター(刑事、精神科医、エミの家族など)が存在する。
映画では主要人物を三人に絞り、心理的な対話に集中させている。
このため、原作の社会的テーマ(差別・貧困・暴力)は簡略化され、より“個の内面”の物語として再構成されている。

◆ 総評(比較まとめ)
原作:→ 社会の底辺と心の闇を描くリアリズム。人間の再生を地に足のついた筆致で追う。
映画:→ 詩的で映像的。原作のリアリズムを象徴化し、夢と祈りの物語に昇華。

つまり、**原作は現実に寄り添う「痛みの物語」**であり、映画は赦しを祈る「幻想の物語」。
どちらも“人と人の心がつながる瞬間”という一点で同じ月を見上げている。

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moja
昭和47年生まれ。生まれた時からカープファン。 姫路生まれ姫路育ち。現在は相生市矢野町榊。 パソコン販売・修理・組立、出張サポート、ホームページ制作・WEBデザインなど。 奥さん1人と4男の父 真宗門徒
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