本日は、ワタシが丁稚奉公する、お寺の関連行事、真宗大谷派・山陽教区第7組の推進員養成講座なるものがあり、
その受講にお昼からでかけておりました。
昨年から、月1回、計6回受講するという形式の第4回目の講義で
内容も難しいんですが、この時期のお寺ってかなり寒いんです。つらかった。
それが終わって、18時から仕事にでかけて帰って来たのが21時半頃
晩メシの支度をして、めずらしくテレビを見ながら待っていた
奥さんが見ていた番組、阪神淡路大震災のドラマ
神戸新聞のドキュメンタリー的なやつでした。
15年前の1995年1月17日、今でもハッキリ覚えています。
普段仕事にでるギリギリまで寝ていますが、あの日は目があきました。
地震発生の約3分前ぐらいだったと思います。
トイレに行って、もう一回寝るつもりで2階に上がった瞬間でした。
生まれて初めて地震が怖いと思った瞬間でした。
幸い、ワタシの住む姫路に大きな被害はありませんでした
普通に仕事に出かけたのですが、いつも使う高速道路が封鎖されてました。
意味がわからず、下道で行こうとすると、大渋滞
当時毎朝聞いていたラジオはABCの「おはようパーソナリティ道場洋三です」
ラジオから、道場さんが叫んでいました。
今日は仕事に行かないで!車に乗らないでみたいな事だったと記憶してます。
ますます意味がわからず、会社に到着
会社のテレビに映っていたのは、神戸の映像
驚きました。
しかし、地元は被害が無いため、いつも通りの時間が流れます。
ラジオからは、神戸が全滅みたいな事ばかり流れてきます。
当時も普段から、神戸に遊びに行き、神戸方面に友人も多かったので、気になって気になって仕方ありませんでしたが、自分はサラリーマンで会社は動いてるもんで、仕事するしかありません
仕事が終わって、家に帰ってテレビをつけると、長田あたりが火の海
友人、知人とは一切連絡がつかず、だけど明日も仕事でどーにもできない自分の無力を痛感した瞬間でした。
これまた幸い、ワタシの知り合いは全員無事でした。
それでも避難所で大変な思いをしたと後で聞かされました。
あれから15年。昨年結婚した奥さんは神戸のど真ん中の人でした。
おの震災を直接経験し、避難所生活を送ったと言います。
生きていてくれて、ありがとうという気持になります。
最近どこかの国で、災害が起こってもどこか人ごとのような自分がいます。
そこには、逆に普段の生活からどーやっても抜け出せない、
遠くで有事が起こっても、自分にはどーすることもできないジレンマを味わった
あの時の辛さを、2度と味わいたくない自分もいます。
普段の生活でも、"人の為に"これがなかなかできませんが
河島英五の「時代おくれ」のような
そんな男にワタシはなりたい
明日、5時半に起きることはできないと思いますが
とりあえず朝起きたら黙祷を捧げたいと思います。
震災で亡くなれた方へ哀悼の意を表します
南無阿弥陀仏
090-3990-0645