僕は田舎で暮らしている。
家の目の前は田んぼが広がりすぐ近くに川が流れて、その向こうに山がある。とても自然豊かな場所だ。
一方で、最寄りのコンビニまでは10キロ以上あり車で15分かかる。それがいちばん近いお店で、スーパーやホームセンターはもっと遠い。
この秋には新しいコンビニが立つが、それでも距離にすれば5キロある。コンビニが立つ場所も県道が通っているが、やはり田んぼと山に囲まれた自然豊かな田舎だろう。
田舎とは何か?「自然が豊か」これこそが「田舎」の定義では無いんだろうか?多少の便利・不便の差はあれど、店が近い・遠いとはまた別の話しだろう。
昨今、田舎で暮らしたい、「田舎暮らし」「田舎に移住」という記事をよく目にするようになった。
その中にはこのような記事もよくある。
【かつて存在した「田舎暮らしのアドバンテージ」は、今や、失われてしまった。】
記事中で筆者は「私は、地方の国道沿いの、イオンやユニクロやニトリが近くにあるような郊外に住んでいる。」と書かれているが、僕に言わせれば「郊外」は開発された、もはや都会なのだ。
「都会」の定義もまたあるだろうが、少なくともイオンやユニクロは他に全くお店の無い、田んぼの真ん中に1軒だけポツンと建つものでは無い。幹線道路があり、その向こうには区画整備された住宅街が立ち並んでいるはずである。そこが「都会」であるかどうかは置いといて、少なくとも「田舎」では無いと僕は思う。
また、この記事の冒頭で次のような記事も紹介されている。
【「文化資本」のことを棚上げにして、田舎=心が豊か、というのは、あまりにも短絡的だ。】
こちらの記事は教育上の価値観の話しなので、それはそれで良いのだが、以下の一文だけはちょっと違うだろう。
自然に触れて、のびのび育つことができる、とは言うけれど、田舎の子どもたちは、学校の統廃合で通学に時間がかかるためにバス通学になって、自然に触れる時間が増えているわけではないそうです。
田舎に住んで、「自然に触れる」というのは、何も野山を駆け回る事だけでは無い。
そこに暮らすだけで、様々な虫がいて、田んぼに水が入れば大音量のカエルの合唱が響いて、庭で草むしりをすれば、必ずミミズがいて、秋になればトンボが飛び回り、夜、外に出れば満点の星が輝いている。
たくさんの鳥や虫の鳴き声が聞こえて、春には春の、冬には冬の、季節の風や空気を感じる事ができる。すなわち自然と共生ができる。これこそが田舎暮らしで最も自然の恩恵を受けるところであり、人としての感受性を育むものでは無いだろうか。
他人からの評価や、子どもの将来の進学や就職のメリット、あるいは便利・愉快・快適を追い求めるのであれば、本当の意味での「田舎」に住む事はあまりお勧めできないかも知れない。
田舎と地方、地方の郊外、これらは全く別のものである。
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