交流戦が終わった後にこれを書いた。
あれから約2週間が過ぎたが、やはり思いは変わらない。佐々岡監督は今季限りでお辞めいただきたい。
ただし、カープの監督がシーズン途中に辞任、または解任される事はまず無い。それは松田元オーナーただ1人に決定権があり、いくら佐々岡さんが辞任したくても勝手に辞める事は不可能なのだ。そう、失踪でもしない限り。
そして、来期続投かどうかも、もはや佐々岡さんの意思にあらず。松田元オーナーのみが決める事となる。それらを踏まえてもやはり佐々岡監督は交代すべきだと考える。
さて、前回は考えるまま思いつくままにつらつらと書いた。そしていくつかの意見もいただき、その中で現役時代にFAなどの交渉の中で監督手形が切られたのが野村、緒方、佐々岡だという意見があり、そういえばそうだったと納得していたのだが、今、元読売巨人軍取締役球団代表の清武英利さんが書かれた「サラリーマン球団社長」を読みながら、少し考えが変わった。
この本は元阪神タイガース球団社長の野崎勝義さんと、カープの営業本部長の鈴木清明さん、それぞれが球団に入られた経緯や、その後の業績などが詳細に書かれており、まだ途中までしか読んでないがかなり読み応えがある内容になっている。
それによると、鈴木さんが現在のオーナーの松田元さんに誘われてカープに入社されたのが1983年で「29歳の夏、まだ独身であった」と記されている。当時はまだ松田耕平オーナーで「元がカープの取締役に就任する直前」だったとも。
その五年後の1989年には、緒方ら若手選手三人とコーチを連れてアメリカに渡ったり、翌年には浅井樹ら五人を連れてまたアメリカへ。さらに帰国後、ドミニカアカデミー開校のためにドミニカへ赴いたりと現在のカープの礎を築くために東奔西走されている。
そして野村謙二郎がFAを取得して残留したのが97年。佐々岡さんが98年。緒方さんが99年。著書の中で鈴木さんが緒方さんの残留交渉をしたと書かれているが、野村さんと佐々岡さんの事は触れられていない。緒方さんと残留交渉をした99年の鈴木さんの肩書は「営業企画部長兼商品販売部長」となっている。
その交渉後、翌年の五月になり、初めて球団部長という肩書が加わることになるのだ。ちなみに、99年は緒方さんのほかに西山秀二さんと、江藤智も資格取得で、西山さんは残留、江藤さんは巨人に移籍となっている。
ここまで見たときに、果たしてこの当時、営業企画部長兼商品販売部長の鈴木さんに監督手形が切れただろうか?そしておそらく野村さんと、佐々岡さんの残留交渉にはノータッチだったはずである。で、あれば、この3人に監督手形が切られた事実が無く、やはり(生涯カープで現役を終えた)実績スター選手の順番ということにならないだろうか。そもそも監督手形すら無いのではないか?と考えるようになった。
確かにコーチ手形は間違いなく切られている。近年では廣瀬純だろう。彼もやはり2011年にFAを取得して行使せずに残留。晩年を2軍で終わらせた代表である。それと真逆の道を選らんだのが木村拓也君だった。2003年にFA取得後、残留したものの、自らが望んでトレードを申し入れて巨人に移籍した。他にも梵英心や、小窪のてっちゃんなどである。
生き方としてかっこいいのはやはり拓也君だろう。だが、別に純君がかっこ悪いというわけでなく、その人の野球人生だから本人が決めたことであれば、それはそれで良いことである。
他のFA取得者を見ると、2000年に前田神。2002年に町田さん、瀬戸さん、2004年に高橋健さんと浅井さんなど。瀬戸さんが現役引退、町田さんが金銭トレードで阪神へ移籍された。
こうして見ると、カープで引退するかどうか。そのあたりにコーチ手形が切られていることになる。そしてやはり監督手形は無いと思えてくる。
カープの監督をざっくり見ると、古葉さん、阿南さん、三村さんと、それ以降の山本浩二さん、達川さんそしてマーティーときて、野村、緒方、佐々岡である。
やはりこれ以降に続くのは、前田か、新井・黒田・石原という流れが自然だろう。結局前回と同じ結論に達してしまったが、どうも東出の扱いが気になってしょうがないのも確かだ。
いずれにせよ、今季をもって交代があるかどうか?もしも秋山加入で勢いづいて現時点以上の成績、(5割以上、3位以上)で終わると佐々岡続投の可能性が高くなり、来期も送りバントと中途半端な投手交代の野球を見る事になる。それだけはイヤだ。
090-3990-0645