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真宗の本山の奉仕団に行くと、記念品をいただくのですが、以前は毎回日めくり法語カレンダーをもらっていました。
多分、今から10年以上前にいただいたやつだと思うのですが、その中の1ページにとても気になる言葉がありました。
「真宗を信じておるというけれど、真宗を信じておる自分を信じておるに過ぎないのです」
ちょっと違うかも知れないがだいたいこんな言葉でした。これを始めて読んだ時、いまいちピンとこなかったんですね。だけど、ものすごい心に残ったのです。
そしてそのうち、ことあるごとにこの言葉が浮かぶようになりました。まあそれからしばらくは忘れていたのですが、何年か前にふっとまたこの言葉が浮かんで、ハッキリと意味がわかりました。なるほどなーと。
その時の事がなんだったのかもすでに忘れたのですが、最近またこの言葉がぴったりと当てはまる事がありました。
それが、コロナとワクチンでした。
コロナを信じる人も信じない人も、ワクチンを打つ人も打たない人も結局は自分を信じているに過ぎないのだと。
少なくとも僕はそうなのです。誰かが科学的だとか非科学的だとか言おうが、安全だ危険だと言おうが、誰がなんと言おうが僕は僕を信じておるのです。むしろ自分以外に信じているものが無いのです。だからブレないし、そこに後悔も無いのだと。
それが、何かを信じるという事なのでしょう。友達を信じる自分、家族を信じる自分、宗教を信じる自分、結局はみな自分を信じておるのです。
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