からのつづき。
僕たちの披露宴をするにあたって、会場の西勝寺とホテルオークラ神戸、担当Sと料理長をはじめ本当にたくさんの方にお世話になった。
まず、結婚式から披露宴まで写真を撮っていただいた、プロカメラマンの島内さん。
ハルの写真通信
島内さんは、普段人物写真をあまりやらないらしい。事実、後年うちの若い衆がオークラで結婚式をしたいと言うたのでお願いにあがったが、断られた。僕の結婚式やから、いや、まあある意味めっちゃ強引なお願いのしかたをしたから、引き受けて下さったのだ。本当に今でも申し訳無かったなーと思う。
そして、神戸までバスを往復してくれた船山観光さん。
ホームページ無いのか?作らせてーな(笑)当時お祝い事だからと、新車を2台出して下さった。残念ながら、この日のバスの写真を僕は持っていない。。
次に、披露宴で司会をお願いした大石英子さん。
最近は占い師としても活動中なのかな?ラジオでもしゃべらはるし、司会もプロだ。 何よりとても美しい。そこが依頼の決め手となった。とはいうものの、もちろん以前にお会いした事があって、この時何年ぶりからにメールを送ったら、快諾していただけのだ。
友人のちんどん屋「華乃家ケイ」さんのケイちゃんには、衣装直しの後の入場で先導をお願いした。
ケイちゃんと一緒に歩いてくれたのは、ケイちゃんの息子の福人。当時21歳くらいかな?ケイちゃんとは97年か98年ごろに知り合って、よく一緒に飲んだりカラオケに行ったりと遊んだ。
その頃福人は9歳やったかな?小学校3年生とか4年生だったろうか。その頃から、ドラムができて、アコーディオンが弾けて、当時ケイちゃん親子は天王寺に住んでいたのだが、やっぱり都会の子どもは違うなーと関心したもんだ(笑)小学6年生の頃には時々お母さんの仕事を手伝ってテレビにでたりしていたのだ。
そのケイちゃん親子に披露宴で先導してもらう事も、すでに当時から僕の夢というかイメージとして出来上がっていた。ケイちゃんには言った事無かったが。
ただ、この頃はすでにケイちゃんとも遊ぶ事が無くなっていたのだが、数年ぶりに連絡を取るとやはり快く引き受けてくれた。そして数年ぶりに会った福人はすっかり大きく(俺よりでかいし)なって、立派な大人だった。
さらには、「大海酒造」の山下専務にまでお世話になった。
大海酒造は、鹿児島で焼酎「海」や「くじら」を作っておられる。
山下専務とは、おそらく2005年頃に知り合い、何度か一緒に飲んだ事があった。
その大海酒造さんには、なんと、、、焼酎ブースを出していただいた。もちろん僕がお願いしたら、なんとまあ、あっさりと引き受けて下さった。
この日、この会場で「大海酒造」さんの焼酎、飲み放題である。実際にどれくらいの数量が空いたのかはわからない。実は大海さんには、お金の話をせずにお願いして、結局御代も払わずに終わった。
2次会にまで来て下さった山下さんに泣いて(ホンマに泣いた)詫びたが、「構わないよ」とおっしゃっていただたいのを今でも覚えている。
僕自身、ある程度お酒にこだわりがあり、来ていただく方に美味しいお酒を飲んでいただきたくて、お願いした事だったが、本当に山下さんには感謝してもしきれない。
ちなみにこの当時、自分が何を飲んでいたかはあまり覚えていない。焼酎を飲んでいたか、日本酒を飲んでいたか。日本酒なら酔心を飲んでいたのか?おそらくこの時はまだ酔心に出会ってなかったんだろう。酔心に出会っていれば、10本か20本ぐらいは用意したはずである。今から思えば、「龍王の舞」か「富久錦」ぐらい用意すれば良かったな。
他にも、当日朝からお寺で着付けをして下さった方や、オークラの音楽担当さん、客席担当さん。アーンド、余興やパフォーマンスをしてくれた友人たち。乾杯の音頭、主賓の挨拶。
披露宴ってホンマにややこしいな(笑)しかもそれをやるのは、一般的に一生に一回だけやでね。
一応僕は自分のやりたい事をやりきった感はあるけど、お世話になった方に十分にお礼が出来てない事と、日本酒を用意できなったのが心残りかな。
こうやって振り返るといろいろと思うことがあるな。
つづく。
090-3990-0645