僕がFacebookで毎日楽しみにしてる連載高梨さんの「徳川家康」
その徳川家康の昨日の回に懐かしい写真が。。
長門裕之さんと(本多作左衛門)
江原真二郎さん(石川教正)。
僕が小学校5年か6年の時の大河ドラマ「徳川家康」の画像で
僕が大河や歴史もんにはまるきっかけになった大河でした。まさに僕の原点もいえる作品。
当時、日曜日の20時は、同級生のほとんどが、「西部警察」を
僕がFacebookで毎日楽しみにしてる連載高梨さんの「徳川家康」
その徳川家康の昨日の回に懐かしい写真が。。
長門裕之さんと(本多作左衛門)
江原真二郎さん(石川教正)。
僕が小学校5年か6年の時の大河ドラマ「徳川家康」の画像で
僕が大河や歴史もんにはまるきっかけになった大河でした。まさに僕の原点もいえる作品。
当時、日曜日の20時は、同級生のほとんどが、「西部警察」を
いや~懐かしわ!ちなみに昨日の回だけはっつけます。怒られるんかな?
≪德川家康≫の229回目。
岡崎城代・石川伯耆守数正と、対・秀吉対策の密議を凝らし、家康在城中の清須に戻った本多弥八郎正信。
德川家康の側近にして、懐刀というべき人物です。
日毎に春めいてくる岡崎城。城代・石川数正もこの城には
一方ならぬ思い出がありました。家康がまだ竹千代の当時
駿府・今川家に赴く日のこと。桶狭間の混乱のさ中、独立を
果たし、家康とともに新しい希望を胸に描いた若い日のこと
石川数正も気づけば、50歳になっていました・・・。
≪さて、羽柴筑前との応酬、如何したものか・・・
ここはご当家にとっても、三方ヶ原以来の難所。
心してかからねばなるまい・・・≫
とその時、大きな聞き覚えのある声が近付いてきました。
「おお、ご城代・・・息災におじゃったかのう?」と
顔を綻ばせたのは德川家の名物男、本多作左衛門重次です。
「鬼どの・・・よう来られた(笑)。先だっては、弥八郎
・・・本多正信も岡崎に参って居ったのだ。」
「いや伯耆どの、そのことよ。殿は我らにも岡崎・城代
石川伯耆守数正と打ち合わせせよ・・との仰せ。儂などは
難しいことは、とんと分からぬ。したが、詐術めいた
羽柴筑前のやりようは、どうも虫が好かぬわい。
恐らくは硬軟両面から、羽柴とのやりとり、腑に落ちるべし
・・・・という殿のお考えと思うておるのじゃが・・・」
「そのとおりじゃ鬼どの。一足さきに羽柴筑前と信雄さまは
和議を講じられた・・・ご当家としても筑前と干戈を交える
理由はなくなったということ。したが、旭日昇天の筑前、
必ずや殿に臣従を迫るにちがいない・・・そうした折の
德川家としての心構え・・・ということじゃ・・・・・」
今朝はここまで・・・・・・!
もう、出ずっぱりの石川数正と本多作左衛門重次、
德川家の2人の柱石
090-3990-0645