今年もあとわずかで終わる。例によって総括を書く。
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まあ今年はコロナの1年だったわけだが、僕的にはいつも通りだ。ありがたい事である。
子どもたちこそは、異例の休校と夏休み短縮を余儀なくされたが、そこで得た事もある。
幸いにも三男は小学校の入学式ができて、夏には海水浴にも旅行にも行けた。夏休みが短縮された以外に大きな被害は無かった。
さらに今年一番大きく気づけた事。それは、あたりまえはいともたやすく崩れ去ると言う事であった。
小学校に通える事も、春休みや夏休みがある事も来年以降どこにも保証が無くなった。長男はすでに来年5年生になった時に自然学校に行けるか?再来年6年生になって修学旅行に行けるか?そんな心配をしている。そう、今までのあたりまえはすでにあたりまえで無くなったのだ。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」という話がある。
ありがとうとは、「有難う」と書き、有り難い、ある事が難しいという話である。
ある事が難しくなければ、あたりまえになる。
僕が師と仰ぐ1人、船越康弘さんに初めてお会いしたのが今から7年前の2013年の3月だった。
その時に、ヨガの世界では当たり前の事にどれだけ感謝ができるか。当たり前の事に感謝できる人の事を超能力者だと言うと教えてもらった。
その話を聞いた時から毎日毎日、あたりまえに感謝するようになった。
おかげさまで今、僕の目の前には幸せで満ち溢れている。
ただ、この2~3年前から過去の総括でも書いたと思うが、その当たり前を変えて行く方向であゆみ出した。これまでの例年通りから、そうで無い生活にして行こうと変化させてきた。その中でたまたま起こったコロナ騒動が、今年を大きく変化させてくれたのだ。これもやはり僕にとってはありがとうとなる。
そしてさらに、次の正月はこの15年ほど勤めあげてきたお寺の正月業務から解放していただいた。除夜の鐘業務から正月の修正会、年頭の村回りと12月31日から1月3日までの間の業務すべてから解放されたのだ。
ゆっくり休むもよし、通常業務を行うもよし、完全に自由になったのだ。ちょっとどう過ごせばよいのか全く見当がつかんが(笑)
まあ今年を振り返ってみるとこれが全てだな。
コロナが私にくれたもの 長い長い春休み
コロナが私にくれたもの 6人家族に60万
コロナが私にくれたもの 少し遅れた自動車税
コロナが私にくれたもの 役に立たない布マスク
コロナが私にくれたもの 三菱大型冷蔵庫
コロナが私にくれたもの 1升炊きの炊飯ジャー
コロナが私にくれたもの ギャルのいない日本海
コロナが私にくれたもの 遊びに行けない夏休み
大好きだったけど全てが嘘なんて
大好きだったけど最後のプレゼント
bye bye my sweet コロナ
さよならしてあげるわ
僕にはもはや年末年始、お正月の概念は無いですが、今年も1年間ありがとうございました。
2021年が皆さまにとって幸多き年になりますように。
090-3990-0645