天谷宗一郎の引退。残り少ない、旧市民球場時代からの戦士。あの頃僕らは心の底からカープの勝利と優勝を目指して、必死で応援していた。
今のように強かったわけでは無い。だからこそ、1勝する事が本当に嬉しかった。もちろん今でもそれは変わらないが。
だけど、弱いと言って下を向いたことはは無かった。毎年、今年こそ優勝するかもしれないと希望を胸に、応援を続けた。
マーティーの掲げたALL-INの旗の元に選手もファンも一体になった。そこに宗一郎もいた。
あの頃どれだけ甲子園の外野席から「そーいちろー」を連呼した事だろう。背番号49は間違いなく僕らのヒーローだった。
宗一郎、夢と感動をありがとう。。
2008年4月5日 対横浜2回戦、前田健太の初登板試合。
サヨナラのヒットを放ったのは天谷のバットだった。
奇しくも海の向こうで、黒田がメジャー1勝目を挙げた夜でもあった。
赤の魂
4月5日
約束の旗2
「勝ち投手 黒田博樹」大型映像装置に懐かしい文字が浮かび上がり、15378人が広島の歴史的瞬間を見届けた。剛腕の証明、メジャーリーグ編は、初登板初勝利、7回77球1失点。米カリフォルニア州のサンディエゴ。試合前、ペトコパークのブルペンからその視界に入ってきたのも懐かしい風景だった。「背番号15で、僕のカープのユニホームを着た日本人がいた」
赤の魂でメジャー打線と真っ向勝負。11年前の4月25日、東京ドームでプロ初先発初勝利を挙げた背番号15は、ドジャーブルーのユニホームに18番を背負い、また新たな挑戦をスタートさせた。得意のシュートで大男たちのバットをへし折りながら…。
吉報が届いたのは午後2時13分。黒田の故郷、広島市民球場には直後にまた重い空気が漂い始めた。同じくプロ初先発で初勝利を目指す前田健が六番の吉村にボールカウント0-2として次の1球を左中間スタンドに打ち込まれた。初回、石原にもらった援護弾もこれでふいに。三回にはふた回り目の石井琢に適時打され1点、五回にもウッドの二塁打を足がかりにファウル6で粘りまくる金城に最後は右前打されてもう1点。5回3失点でマウンドを降りた。
2年目の右腕の奮投に応えたい打線はメジャー16勝右腕ウッドの前に二回以降、またまた拙攻のオンパレード。九回、四番手ヒューズの代わりバナ、代打嶋が二塁打すると天谷がその足を活かし間一髪セーフの内野安打、続く石原がこの日4安打目となるタイムリーツーベースを放ち1点差…。なお無死二三塁。一打サヨナラ…。ところがアレックスは浅いセンターフライ。昨夜の試合を守備で決めた金城のバックホームがダイレクトでキャッチャーのミットに収まる。ここから圧倒的有利に見えた勝負の行方は怪しくなり、栗原は初球打ちサードゴロでとうとう二死一三塁。前田のバットがライト前に弾き返し同点にはおいついたが、黒田の吉報から3時間半を経過してもカープに吉報は訪れなかった。
約束の旗。
その視線の先にはバックスクリーン、そして目線を上げていくと日章旗。延長十回、二死二塁に東出。外野は前進守備で、マウンド上には左腕那須野。打席に向かう天谷にはその空間に心地よささえ覚えていた。
「お立ち台で何を話そうかな、と考えていました。どんな当たりでも東出さんなら還ってこれると…。それまでの打席は出塁しなきゃ、とかいろいろ頭にあったけど、最後の打席はホント集中して入れました。いいイメージしか入らなかった」
乾いた打球音と共に3時間50分を越える戦いの終わりを告げる決着弾。詰まりながらもセンター前に落ちると、またまた金城が猛チャージ。バックホームで東出、相川のタッチにからだをよじるようにしてかいくぐりセーフ。湧き上がるスタンド。ベンチに向かって両手を挙げ走り寄る天谷。ナインに押し潰され、ユニホームの上はめくれ上がり、そのお腹をポンポン叩かれ手荒い祝福の中に天谷の笑顔…。
「最高です!とにかくサヨナラをイメージして、もう6時と遅いんでファンのみなさんにも早く帰ってもらいたいと思ったんで…。これからご飯時です。おいしいお酒を飲んで明日も球場に来てください!」
天谷の、堂々としたヒーローインタビューが暮れ始めたスタンドにこだまする。どうしたら一軍で通用するか。どうすることが自分の野球人生にとってプラスになるか。「東出さんのプロ意識はすごい。本当に勉強になります」それを一番、親身になって教えてくれた同郷の先輩をホームに迎え入れる最高のサヨナラ劇だった。
そして、忘れられないことがもうひとつ。黒田と新井が中心となって「約束の旗」を目指した昨年2月のスプリングキャンプ。日南での大事件。一軍枠を有力視されていた天谷は練習に大遅刻してマーティーの逆鱗に触れ、新井からも厳しく戒められた。その直前の練習休みでは黒田がマーティーと話し合って、あえて門限を設けないことを申し合わせた。選手と指揮官の信頼関係の下で、キャンプを充実したものにしていこうと決めた矢先の失態だった。
「自分の中に甘さがあった。みんなに迷惑をかけてしまった。今はいくら試合で遅くなって夜中に寝たりしても朝早く、いつも同じ時間に目が覚めます。今年から一人暮らしを始めたんですが、やはり日常生活から緊張したものにしないといけない。それがマーティーに教えてもらったメンタル面につながっていくからです」
昨年、初めて上がった市民球場のお立ち台。天谷が二番を打てばチームは無敗を誇ったゴールデンウィーク(4月28日)にプロ1号。しかし、コイの季節の最中に左肩を痛め、その後は一軍の舞台から遠のいた。
一年越しで再びやってきたチャンスは「一番センター」という新たな活躍の場が用意されている。「自分では結果が出ているとは思っていません。ずっとピッチャーの足を引っ張っている。でも、マーティーがずっと使ってくれた。それに応えたかった」
大竹、マエケン、そして天谷。サクラ咲く季節。新たな旋風がコイの街を吹き抜ける。
★プロ初先発で5回を投げた前田健
ある程度は自分のピッチングができました。試合前は緊張しましたが試合に入ってからは緊張しませんでした。セットになって甘く入った。金城さんのヒット(五回二死から13球の勝負、この日102球目を右前に適時打され3点目を失う)がちょっと悔しいですね。1点取られたあと抑えられたのは良かった。(三回、石井琢に適時打されアレックスの後逸で一死三塁のピンチで仁志を遊ゴロ、金城に四球も村田に141、2キロのストレートで内角攻め、最後は141キロで詰まらせ捕邪飛)もう1本、村田さんらに打たれたら(試合展開が)苦しくなっていたと思う。(プロ初登板は)想像もつかない感じで、今日投げて雰囲気とかにもだいぶん慣れてきました。
天谷引退会見「黒田さんとお立ち台に上がれたのが一番、思い出に」
広島・天谷宗一郎外野手(34)が4日、マツダスタジアムで現役引退会見を行った。一問一答は以下の通り。
◇ ◇
「皆さん本日はお集まりいただきありがとうございます。本日をもちましてプロ野球生活17年間を引退することを決断しました。今までご指導してくださった歴代監督、コーチ、一緒に戦ってきたチームメート、支えてくれたチームスタッフの皆さんには本当に感謝しています。たくさんの熱い声援を送ってくださったファンの皆さん、全ての方に感謝しています」
-引退決断の理由は。
「今年1年、何とかチームの戦力になりたいと思って春のキャンプから過ごしてきた。1回も1軍に上がることができなくて、チームに迷惑がかかるというか、これ以上いても仕方がないと。ここら辺で、今年が潮時なのかな、終わりかなと思って決断しました」
-決断した時期は。
「丸、野間がケガをしたときに1軍に上がれなかった。その時は何とか1軍の戦力としてできるんじゃないかと考えながらやっていたので、その時に呼ばれなかったのが一番大きかった」
-相談は。
「9月頃に妻には今年でこのまま1軍に呼ばれることがなかったら辞めようかなと伝えました。意外にあっさりお疲れ様でしたと言っていただきました」
-今年で3連覇。
「すごくいいチームメートと戦えたかなと思いましたけど、3連覇の胴上げの輪の中には入れなかった悔しさはありました」
-今の気持ちは。
「球団の方に引退を伝えてから、2軍で過ごしているときには、残り何日って考えながらやっていたけど、まだちょっと実感は沸いていない。もうちょっとこみ上げてくるものがあるのかなと思っていたんですけど」
-実感は。
「いろいろ考えたけど、辞めてCS、日本シリーズをテレビで見るようになったときに引退したんだと実感するのかなと思う」
-思い出は。
「1つ1つのプレー、出来事が記憶に残っているけど、25年ぶりの優勝をした年の開幕カードで黒田さんとお立ち台に上がれたのが一番、思い出に残っている。あの試合はすごくうれしかった。一番最初にお立ち台に上がると思ってやっていたけど、あんなに早くお立ち台に上がれると思っていなかったし、何回立ってもいいものだなと。横に黒田さんもいたので特別うれしかった」
-フェンスを登ってキャッチしたこともあった。
「今やれと言われたらできるか分からないけど、その時の自分にやってくれてありがとうと言いたい」
-感謝したい人は。
「この人とは…。たくさんの人にいろんなことを教わった。1人を挙げるのは難しい。いろんな人にたくさんのことを教えていただいて、叱ってもらったりしたので。監督、コーチ、新井さんをはじめ横山さん、たくさんのことを教えていただきました。1人は難しいです」
-原動力は。
「一番は野球が好きというのがあったと思う。野球が好きだから、ここまで、良いときも悪いときも…、ほとんどが苦しい時期だったけど、野球が好きという思いはあった。ファンの皆さんの声援が、1つのプレーであれだけ歓声をいただいたので、あの歓声をもう一回、聞きたいという思いが強かった」
-ファンは。
「本当に良いときも悪いときも変わらず、ファンの方にはたくさんの応援をしていただいて、心が折れそうなときも何回もあったけど、なにくそ魂というか、奮い立たせてくれた存在です」
-今後は。
「まだ未定です。17年という長い間、カープにお世話になったので、何かしら微力ながら恩返しできたらいいなと思っています」
-どんな野球人生だったか。
「野球小僧が大人になったような、しょうもないプロ野球選手でしたけど、本当に毎日毎日が充実した、楽しい時間でした」
-ドラフト9巡目で入団した。
「確かにこんなに長くできると思っていなかった。最初の3年が勝負と思って初めて1軍に上がれて、1軍に上がってのプロ野球、何とかその時に長い間やりたいと思ったが、17年間できると思っていなかった。カープ、球団にはすごく感謝しています」
-17年間もやれた。 「ファンの声援のおかげだと思う。厳しい言葉もいただいたけど、センターを守っていて、赤松さんがベンチにいて、『何でお前がいるんだ』と。なにくそと思うし、いつか見返してやるという思いにさせてくれたファンの存在が大きかったです」
デイリースポーツ
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