元来僕は、世界史が苦手なのだ。なぜならカタカナが苦手でさらに人名となると中々覚えられないのだ。同じ理由で外国文学や、小説もあまり読まなかった。
だけど、数年前から先生に見つけたら買って下さい。そして買ったら必ず「自分で読んでから」送って下さいと言われていてついに見つけてしまった。
が、内容が高度過ぎる。本当に僕はこれを読んで理解できるんだろうか?読む前から少しの不安を覚えた。
さらに物語は第二次世界大戦の終戦前後のヨーロッパときたら、僕が歴史や地理の中でも一番苦手な部分である。実はユダヤ人の問題なんてのもイマイチちゃんと理解できて無いのだよ。
物語はファンタナ村から始まる。ってどこやねんそれ?と思いながら読み進めていくとルーマニアのお話である事がわかる。ルーマニアってどこだっけ??もう僕はそんなレベルなのだ。ヨーロッパなんて、せいぜいイギリス、フランス、イタリア、スペインと北欧あたりしかイメージできないのだ。特に東欧なんて全く知らん。
しかし時代は便利だ。なんでも検索できる。ルーマニアの場所も歴史も一瞬で知る事ができた。しかしこの調子で読み進めてどんだけ時間がかかるんだろうか?
主人公のヨハン・モリッツ。モリッツの妻となるスザンナ、スザンナの父のヨルグ・ヨルダン。モリッツの母親のアリスティツァ。アレクサンドル・コルガ神父。コルガ神父の息子のトライアン・コルガ、トライアンの妻になるエレオノーラ・ヴェスト、ユダヤ人のゴールデンベルグにその息子のマルコウ・ゴールデンベルグ。さらに、ヨハン・モリッツなんてのは、イアニと呼ばれたりイオンと呼ばれたり、もうワケがわからん。本当に。だいたい名前を聞いても男か女かもわからんじゃないか。。
そんな事を思いながら読み進めると、徴発命令という単語が出てくる。徴兵じゃないのか?徴発ってなんだ?さらには憲兵だとか兵隊が出てきてこのあたりでようやく戦時中の話である事に気づく。今度は「俘虜」という単語が出てくる。ふりょ?捕虜じゃないのか?俘虜ってなんだ?捕虜の事か。なんか子どもの頃初めて小説を読んだ頃の事を思い出した。知らない単語が出てきては調べてたな。そしてやっぱり時代は便利になった。
このあたりから物語は本題に入って行く。これまで僕の中で戦争のイメージというと、爆撃や空襲で戦火に焼かれたり、それでなくても鉄砲などで撃たれて人がたくさん死んだりとそんなイメージで戦争なんてもんは恐ろしいもんであると思っていたが、この本を読んでもっと恐ろしい事がある事に気が付いた。
それは何の罪も犯していない、普通の農民であったり民間人が平気で俘虜になり、収容所(この本の中ではキャムプと書かれているが、多分そんなイメージだろう)に送られて、奴隷のように働かせられたり、拷問を受けるという事だ。それも戦争が終わるまで10何年間とか、戦争が終わっても敗戦国であるという理由から俘虜のまま収容所から出れなかったり、出てもまたすぐに収容されたりと、想像しただけでとんでもなく恐ろしい話である。
しかもこの物語に書かれている拷問の描写がえげつない。もう読むのが嫌になるくらい怖かった。例えば途中でこのような描写がある。
ーそれから彼は首をはねられたイタリア人のことを考えた。彼はイタリア人を大勢見たことがある。みんな陽気な連中だった。そこでその死刑になった男もきっと陽気な性質の男だったに違いないと思った。黒い、ほっそりした口髭をはやしたそのイタリア人の首が、にこにこしながら首切人の足許をごろごろ転がっていくところが彼の眼に浮かんだ。
これは死刑の場面だが、拷問のほうがもっと恐ろしいのだ。。。途中で挫折しそうになった。
やがて物語は終戦を迎えるが、戦勝国が侵略しやはりここでも略奪や強姦が行われる。そして俘虜は解放される事は無い。戦争とはそれほど悲惨なものなのだ。。
ヨハン・モリッツ、スザンナ、コルガ神父、トライアン・コルガ、ヨルグ・ヨルダン、エレオノーラ・ヴェスト、ヒルダさらに様々な国の様々な人種や国籍の俘虜。ものすごい数の人間の運命がルーマニア、ハンガリー、ドイツ、フランスの国境を越えて交錯してゆく中で描かれたヨハン・モリッツの13年間の物語。
確かに先生の言わんとすることは分かった気がする。これは、もっとたくさんの人が読むべき物語である。
最後のページに「角川文庫発刊に際して」とこれが書かれていた。
角川文庫発刊に際して 角川源義
第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。
西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短すぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。そしてこれは、各層への文化の普及滲透を任務とする出版人の責任でもあった。
一九四五年以来、私たちは再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎(もたら)すためには絶好の機会でもある。角川書店は、このような祖国の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の基礎たるべき豊富と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果たすべく角川文庫を発刊する。これまで刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所を検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。しかし私たちは徒らに百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい。多くの読書子の愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負とを完遂せしめられんことを願う。
一九四九年五月三日
これを読んでもいまいち、ピンとこないんだけどな。それでもものすごい本であった。
「二十五時」
作者 C.V.ゲオルギウ
訳 河盛好蔵
角川文庫 昭和42年12月10日 初版発行
090-3990-0645